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Web誌友会 板/2

2185復興G:2013/07/05(金) 08:14:12 ID:AB6RqYXc

>>2184 :曳馬野様。

コメントのご投稿、ありがとうございます。

一つずつ、お答えさせていただきます。

≪ >>2180 「7月4日」――個人は滅しても国家理念は滅びない。国家理念のために没し切った個人の生命は永遠に滅びない。私は日本を 「久遠無窮」 の 「理念」 の体現として限りなく愛する。<<

七つの光明宣言の「二」に於いて個人の生命、魂の不死を説きながら、国家理念のためにと但し書きの付くのはどうしてでしょうか? ≫

――七つの光明宣言の「二」には、お説の通り

 「二、吾等は生命顕現の法則を無限生長の道なりと信じ個人に宿る生命も不死なりと信ず。」

 とあります。それと「7月4日」の引用文は、矛盾するでしょうか? 私は、矛盾しないと思いますが――

 投書子が引用された 『生命の實相』 第38巻の 「7月4日」 の項は、一部抜粋してあるのですが、その前後のご文章を拝読すると、これは素晴らしい真理のみことばであることがわかる思います。まず、それを謹写させていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     七月一日

 深海の中に棲む魚は盲(めしい)である。暗(やみ)のみを心に思い浮かべているからである。光を見る心になったときわれわれに眼ができ、美しい世界がわれわれの周囲に展開したのである。

 思想することは自由である、幸福になるように、あるいは不幸になるように。けれどもそれは各人の選択である。

 ただひと筋に光明思想に随(つ)いて来るものは幸いである。

 すべてのものがわが内にある。本当にある。本当にある。ただそれだけを知ればよいのである。ただそれだけを直視(じきし)すればよいのである。

 思想として、宗教として、哲学として、生長の家はすべてのすべてである。このほかにもっと何かよいものがあるかと思ってさ迷い出るものは、エデンの楽園にいてエデンの楽園をさ迷い出ずるものである。

 いろいろと変わった思想のものを読んで、思想を混乱させればさせるだけ、自分の運命が混乱してくる。

 罰を当てるのではないが、いちどお蔭を戴いてから去ったものの運命がそれほど花々しくないのは、その人自身の思想が混乱しているからである。

 元の思想に還ればまた幸福がその人のために蘇(よみがえ)ってくるのだが、いったん光明思想を去った者が元の思想に還ることは負けたような気がして正直に懺悔の心を表白することができない。そこでその人はいつまでもグズついて不幸の中に身をまかせているのである。

 真理の前に脆(ひざまず)くことは、不幸の中に身をまかせていることよりもいっそう勇敢なことであることを知らねばならない。

     七月二日

 本当の平和はわが心が神に結ばれたときのみに得られるのである。

 神さえあれば何も要らない。心に神を持つことは「すべて」を持つことである。神は「すべてのすべて」であるからである。
<つづく>


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