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Web誌友会 板/2
5489
:
トキ
:2015/06/06(土) 18:39:39 ID:1mwIbKNI
島津綾久(笑) 様
谷口雅春先生が偶像化されたのは戦後もかなり経てからで、戦前や戦後は
もっと親しまれる、愛される存在として信徒から見られていました。戦前、
紀元2600年の橿原神宮の勤労奉仕に、谷口雅春先生もゲートルを巻いて一般
信徒と一緒にもっこを運んでおられる写真もあります。それが、教団がどんど
ん大きくなり、信徒が増えると、いつの間にか遠くから崇めるような存在に
なってしまいました。
谷口雅春先生の晩年に、体調がすぐれないという噂を聞いた戦前の花嫁寮の
卒業生の有志が長崎総本山の総裁公邸にお見舞いに伺ったところ、職員から
「面会なんか、とんでもありません!」と叱られたところ、その声を聞きつけた
谷口輝子先生が、「この子たちは私たちの子供のようなものです。入れてあげて
ください。」と言われたので面会が叶いました。が、その話を聞いた戦前に入信さ
れた信徒さんたちは、「大きくなりすぎたのかしらねえ。」と嘆いておられまし
た。
お悟りになられてからも、信仰の面では厳しい先生でしたが、それ以外は人間味
あふれる、暖かい先生だったと聞いています。
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