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Web誌友会 板/2

266復興G:2013/02/18(月) 09:42:49 ID:AB6RqYXc

<『生命の實相』第二十四巻「質疑篇」88〜99ページより、つづき>

 たとえば、薬というものはたいてい毒性をもったものですが、病気に応じて、適当に調合して適量に用いると効くことがあります。現象界をあると思いすぎて執着し、苦しんでいる人に対しては、「ない」という端的直截な言葉が一等よくきくのであって、「ない、ない」と幾度繰り返しても、五官の方では常にあるように見えていて、「ある、ある」と主張してくれているのですから五官の方での「ある」という主張と、生長の家での薬語「ない」とが適当に中和して、迷いや執着を去る上に効果を奏し、事実上、実効上、病気が治り、不幸その他がいちじるしく癒やされているのですから、生長の家で、「現象は無い」という言葉を使うのは、その用法がまちがっていると言われないのであります。

 およそ薬というものは、薬それ自身に毒性があるから使ってならないというわけのものではないのであります。モルヒネは毒薬であっても、本当にそれがよく効いたら人間に適するようにしてそれを使えば、かえって胃腸病が治ったり神経衰弱が治ったりすることがあります。そうすると、モルヒネのような毒薬でも、本来毒であるか薬であるかは容易に分かるものではない、使いようによって毒ともなれば薬ともなるのであります。

 それと同じく、「無」という言葉も下手に使えば、人を気狂にするかもしれない、今まで哲学にかぶれて厭世自殺をしたり、仏教の「空」をさとったと思って隠遁生活をする人が出たりして、仏教は厭世思想だという悪評を受けたのも無を説き「空」を語る言葉の薬剤が、効きすぎたり、効かなすぎたりしたからであります。
 上手にこれを使えば、現に、生長の家のように病を治し、運命をよくするのであります。

 同じヨードでも、ヨードは普通なら細胞を破壊する激毒性がありますが、ある操作をこれに加えておくと強壮剤となります。

 「無」の言葉は今まで「ある」と思っていた現象を「ない」と言いきるのですから、ヨード以上に峻効をもっている。それを適当の効果を持たすように、文章の中にいわばコロイド状に組み込んであるのが『生長の家』であり、『生命の實相』であります。だから『生長の家』を読んで効くか効かぬか、薬になるか毒になるかは、読んだ多数実験者の実際例によって証明せられているのです。

 かくのごとく「無」の字は峻効を有するので、生長の家では、それが人間に働きかけて、生命を生かすので、有効無害の働きをするように、文章中に巧みに他の言葉と混ぜて調合してあるのであります。「無」の字、「ない」という言葉は、生長の家の発明でも発見でもありません。釈迦の昔からある言葉ですが、生長の家の独創的なところは、「無」の字、「ない」という言葉を、文章全体の中に織り込んであるその織り込み方にあるのであります。

 この織り込み方はわたし独特であって、わたし独特のインスピレーションによって書いてゆくので、誰にも真似はできないのであります。思想は真似はできても、言葉の調合は真似ができないのであります。だから、今までお経を読んでも聖書を読んでも治らなかった病気でも、その同じ真理が説いてある生長の家では、聖典を読んだり話を聴いただけで病気が治るのであります。

 「現象はない」とか「病気はない」とかいう言葉は、語法が不穏当であるとかいって注意して下さるのはありがたいが、毒性峻烈なヨードでもヨード剤として特殊の分子構造のうちに結合せしめてヨードを安定せしめたときには無害有効となるがごとく、「無」の字の効果は峻烈であっても、わたしの書きまたは話す特殊の文章組織の中に結合せしめたときに効力が最も卓絶した薬物となるのであります。
<つづく>


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