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Web誌友会 板/2

3585曳馬野:2013/12/29(日) 17:04:51 ID:xR0RYWLc
>>http://www.geocities.jp/ikiiki49/page006.html 子供たちに教えたい維新の偉人『山岡 鉄舟』 より

こんなエピソードがあります。明治天皇がお若い頃のある日、鉄舟たち侍従とのお酒の席で
鉄舟に相撲を挑まれ、鉄舟を押し倒そうとされました。天皇と臣下(じんか)、普通なら天皇に勝ち
をゆずるでしょう。しかし鉄舟は、飛び掛られた際に横にかわし、天皇は鉄舟の後ろに倒れて
しまわれました。周囲は鉄舟に謝罪を勧めましたが、鉄舟はこれに応じず、「陛下と相撲を取
ることなど、この上ない不倫(ふりん)であること。また、わざと倒れるのは迎合することであるこ
と。またもし、私が怪我をすれば陛下はどれほど後悔遊ばされるか。もし陛下が私を悪いと仰
せられるなら、謹んでこの場で自刃してお詫(わ)び申し上げる覚悟であること。」を決然と言いま
す。

 明治天皇は鉄舟の言葉をお聞きになり、「私が悪かった。」と仰せになったとのことです。
決死の覚悟でお諌(いさ)めする鉄舟、非を素直に認められるお若き日の明治天皇。このよう
な、君臣(くんじん)互いに信頼の絆(きずな)で結ばれているのが、日本の伝統なのでしょう。このよ
うな情景は、昭和20年、終戦後にも、昭和天皇と国民との間でGHQ相手に遺憾(いかん)なく発
揮されました。

>> http://rakudo.jp/category/05 楽道庵ホームページ 山岡鉄舟Ⅰより

「私は年齢が八、九歳の頃、母が文字の書法を教えてくれた。たまたまその中に忠孝という文字があるのを見た。私はどういう意味かを不審に思い、
母にそのいわれを尋ねた。母が言うには、忠と申す文字は、その使う場所によってさまざまな解釈もあるが、この場合は主君に仕える心の正しさをいう。
孝と申す文字は、父母に仕えるという意味である。しかし忠と孝とはもともと根本を同じくするもので、人がこの世で生きる上で、
必ずこの道理をわきまえなければ、人として生まれた甲斐がないばかりか、申し訳が立たぬものであると、大層情感を込めて話された。
けれども、私は幼年のこととて、それがさほど効能のあるものとは思えなかったが、母の膝によりながら、じっとその顔を眺めてみれば、
母は何となく深い心を含んで言われたように見受けられたので、私は幼な心に、母様よ、母様は常にその道を守られているのですか、
また私はどうしたらその道を行ない尽くすことが出来るのでしょうかと、何気なく質問したところ、母は何やら心に感じたところがあったようで、
はらはらと涙を流しながら言われるには、オー鉄よ鉄よ、母も常にそのように心がけてはいるものの、至らない女であるがために、未だこれといった成果もなく、
誠に残念に思っている。そなたは幸いに丈夫な身体に生まれついたのだから、必ず必ずこの母の教えを忘れないでおくれ。
忠孝の道は、その意味はなかなか奥深いものがあり、今日そなたに申し聞かせても容易に心に合点するというわけにはいかないでしょう。
これからはこの心を持って修行に専念すれば、将来において自然に了解することもあるでしょう。必ず必ず、うち捨ててはなりませぬと、
心を尽くして述べられた母の至情の教訓は、この出来事において私の精神にしみ渡ったのである。」


このように鉄舟は述懐しているが、我が子の目前で真情を吐露する母に感応道交して、鉄舟の幼い心にも生涯忘れ得ぬ至誠心が刻印されたのであろう。
母たる人の家庭教育がいかに大切かが知られるのであり、鉄舟の母のように、真心や至誠心をもって教育すれば、
子供はきっと立派な皆から尊敬される大人に成長するであろう。
すでに十五歳の折りには、「修身二十則」を作って自らの日常の言動を戒め錬磨している。


  つづく


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