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Web誌友会 板/2
2295
:
ユタカ
:2013/07/13(土) 15:35:26 ID:R1D4Jmeg
>肉体は『人間』ではない。人間の心の痕跡(こんせき)であり、足跡(そくせき)である。破壊すべきものは人間ではない。汝らよ、汝ら自身の不苦不悩無病の実相を見よ。
(昭和七年十一月十日神示)>>
だから、(つづき)↑と示されてゐるのであります。
肉体の現在の状態は心の足跡でありますから心がどこを歩むかとふことによって、肉体の健、不健の状態の現れやうが変わって来るのであります。肉体は人間じゃなくて「心の痕跡」であるとは巧みな形容であります。だから、肉体に病気が現れてをつても、それは「人間」が病気をしてゐるのではなくて、「心の足跡」gsそんな姿にあらはれてゐるのに過ぎないものですから、「病気は無い!」とはっきり言へるのであります。たとひ肉体に病気があらはれて人から「お前、偉そうにいったって病気しとるんじや」と言ふことになるのであります。
森川政輝といふ人が、唯今、小豆島の観海楼といふ旅館の料理場の主任になってゐるのですが、この人は、唯今、生長の家の教化支部長として、関西教区方面にいられる秋月暁君といっしょに、私が住吉に居った自分に生長の家本部にやってこられたのでした。そのころ京都の宇多野療養所にをって二人とも肺病で、なかなか治らないで悲観しておられた。所がたまたま『生長の實相』を読んで生長の家にやって来て、一ヶ月位私の家に通って私の話をきいて私と一緒に神想観をした。
それで二人とも治って健康になったのですが、その治りつつある頃に森川政輝君は、あれは何とかいふ紀州淡輪(きしゅうたんなわ)にある淡輪ホームという療養所にをられましたが、ある日、その療養所から私に手紙を寄こされたのでした。何と書いてあったかと言ふと「私は、病気でねてゐながら、病気をしてゐない、”本当の自分”といふものがあるといふことがわかりました。」かふいふ手紙を寄こされたのであります。
かうして肉体は病気しても「本当の自分」は病気してゐないといふことがわかったといふ悟りを手紙に書いて寄こすやうになってから病気が完全に治ってしまったのです。
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