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Web誌友会 板/2

553復興G:2013/03/12(火) 07:50:00 ID:AB6RqYXc

元青年会員です 様。

トキ様が、客観的な見方で、まことに適切なご投稿をしてくださいました。私も同感します。

この際、さらに総裁の、「日本は侵略国である」発言について、あらためて私の思うところを書かせて頂きます。

雅宣総裁が、平成3年(当時副総裁)5月から4年8月まで『理想世界』誌に「ネットワーク考」と題して書かれた文章の中で「日本は侵略国であり懺悔が必要」と書かれ、信徒の間に大きな波紋を巻き起こした。当時本部講師であったF氏は、退職して“「生長の家」路線変更か−谷口副総裁が「日本侵略論」展開−「創始者の教えに反す」”と題した記事を『国民新聞』に投稿し、平成4年7月25日号の一面トップに大きく掲載された。それに対して、一教化部長の「F氏に反論す」という論文が、平成4年10月号の機関誌『生長の家相愛会』に掲載されています。

 その冒頭に、リード文として

≪「生長の家」路線変更か――とは皮相な見方、井蛙の見なり。創始者の教えに反しているのは、F氏の方ではないか。今こそ真の日本救済――小日本ではなく「大日本(ひかりあまねきせかいのくに)」の実相顕現のために起ち上がるべき時である。そのためには、「大懺悔」が必要である。≫

 とあります。

 私は、この「大懺悔」というところに注目します。

 この「大懺悔」には、わざわざ「カギ括弧」がつけられているのです。

 「小懺悔」ではいけない。「大懺悔」が必要である。

 日本は大東亜戦争で他国を侵略しました、悪うございました――というのは「小懺悔」であります。

 小懺悔も必要ではありますが、そこにとどまっていたら、かえって業の流転でまた同じ過ちを繰り返す可能性が大であります。「罪なし、実相独在」の「大懺悔」に到ったとき、はじめて業を超えることができる。

 同論文には、次のようにあります。長文になりますが、要点を転写させていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 F氏の「告発」文をきっかけに、今一度尊師谷口雅春先生の「日本は侵略国ではない」とのお言葉、そして副総裁谷口雅宣先生が「侵略したのは日本」とおっしゃったことの意味をかみしめ、整理して考えてみた。それを、次に記述させていただこう。

日本は侵略国か

 谷口雅春先生はたしかに、「日本は侵略国ではない」と説いて来られた。しかし、これは現象的な相対の世界の皮相な観点から日本無罪を主張しておられるのではない。深い生命の実相哲学から出てきたお言葉である。その奥義、秘密義に思いを致さねばならぬと思う。
『聖なる理想・国家・国民』の十五頁には、

< 日本国家の理想とは何であるか。それは「宇宙の理想」と一つのものである。「宇宙の理想」とは釈尊の説く金波羅華(こんぱらげ)の世界であり、キリストの祈りである「みこころの天に成れる世界」である。日本国を“侵略国”と誣(し)いる者は何者ぞ。去れ!! 日本国は世界の救世主たる使命を帯ぶ。>

 と書かれている。

 ここでも前半のお言葉から明かな如く、「実相独在」の観点から、「理念の日本」「日本の実相」を観じ、日本の使命を直観して説かれている。『日本を築くもの』の第三章に、「堅固法身・膿滴々地」と説かれ、『我ら日本人として』第四章にも「“理念の国”と“現象の国”に就いて」として詳説されている「理念の国」を直視し、「実相」の大地に立って説かれているのである。
<つづく>


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