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Web誌友会 板/2

2387a hope:2013/07/19(金) 21:25:37 ID:edEDolt2

次回の第16回web誌友会の日程・内容などは、まだ決まっていませんが、
今夜から、また少しずつ「生命の實相」の自主勉強を始めさせていただきまます。
ユタカさま、勝手に始めますが今回もよろしくお願いいたします。

前回で「生命の實相」第3巻を終了したと見させていただき、第4巻に進ませていただきたいと思いますが、
範囲の目安としては、「第1章 人間は肉体でない話」と「第2章 真理はなんじを自由ならしめん」
くらいがよいかと思いますがいかがでしょうか?


それでは、まずは以前、信仰/体験板に投稿させていただいた内容を再投稿させていただきます。


【a hope自主勉強】

この第1章には、『ルカ伝』の中の清教徒シモンと娼婦マグダレーナのキリストへ対応を例に挙げて、
「赦されるという意味」が説明されています。

(赤線を引いた箇所)
P7 後から1行目〜
<<まことに「赦された」と申すことは罪の消えた状態をいうのでありまして、
たんに「勘弁してあげる」と口先でいってもらっただけで、本然の神聖が顕れておらず、
したがって罪が消えてはおらないで、再び罪をおかしたくなるような状態を指すのではないのであります。
自己本然の神聖があらわれた状態こそ罪が赦され消去された状態でありまして、
たんに口先で「あんたの罪は勘弁してあげる」といってもらうことを、
罪が赦されたなどと考えては大間違いであります。
本当に罪が赦され消去したならば、罪の顕れである病は消えてしまう。
それで神癒治療者は罪を消す人ともいえれば、相手の神聖を開顕する人ともいえるのでありまして、
施念者ばかりがいくら力んでみましても、相手に懺悔する心をもって
真理を受け入れてくれる心がなければ効果が少ないのであります。>>

P9 9行目〜
<<遊女マグダレーナは罪の赦し(生命の実相の開顕)を得るためには、
おそらく彼女の最も尊い香油の全部をキリスト(真理)の足下に注いだに相違ないのであります。
形ある宝はどんなに尊い宝でも、香油でも、自分が神の子であるという根本自覚に入ることにくらべるとなんでもない、
一切をなげうっても真理を知りたい、一切をなげうっても救われたい、その念願があれば必ずそれが形にあらわれる、
その現れが、マグダレーナでは香油をキリストの足に灌ぐという行為となったのであります。
なにもその行為に懺悔の事実を顕さないで、無代で、安いから治してもらった方が利益だ――と、
こういう物質的利益の方が先に立つようでは、その人は神癒の例波の受信機になれない
――したがって神癒によっては病気は治りにくいのであります。
治す方も治される方も、利害は全然念頭になく、神を愛する、神の栄を顕すためにならなんでもするというところまで達したら、
実にすばらしい顕著な治り方をするのであります>>

(所感)
このマグダレーナの懺悔のお話は何度読んでも感動します。
街中の人々から蔑まれていた娼婦であっても、心からの懺悔と真理を受け入れる心があったのでキリスト(真理)は赦されました。
そして、それが『まことの赦し』なのですよね。
「生長の家の赦し」も同じだと思いました。

すばらしい善人であっても、どんなに悪人と呼ばれる人であっても、神の御心(真理)は平等に働くのだと思いました。


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