したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

Web誌友会 板/2

3907a hope:2014/05/14(水) 22:12:29 ID:cEpBaIdo

テキスト第13巻p67〜71

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2844

(a hope 赤線部分)

『唯一の「善」は神のみである。
ということであります。「善(グッド)」は「神(ゴッド)」の別名なのであります。
「神」のいます処、そこに、「善」があり、「神」のいまさない処、そこに「善」がないということになるのであります。』

『自と他と、我と彼と、心と物と相離れているように見えますけれども、実は相離れているのではない、
本来、自他一体なのであります。神を愛するには、神と、神より出でたるものすべてを愛さなければならない。』

『「神は愛である」とは、『ヨハネ第一書』以来今日にいたるまで、神について下された最も要領を得た定義であります。
では愛とは?「おのれのごとく隣人を愛すべし」何故(なにゆえ)であるか。
答えて曰く、神はすべての親であるから、自己と他とは一体であるから、その答えは大いによろしい。
自他包容の渾一体(こんいったい)――すなわち「自他一体」そのものが神なのであります。
自他一体を生きるということが神を生きるということ、神をこの世に顕現することであります。』

『自他一体を生きることが神を生きることになるのでありますから、軽くいえば自己のごとく他を愛する。
いっそう切実にいえば自己そのものとして他を愛することが、神を生きることになるのでありまして、
「神を生きる」すなわち永遠価値の生活を生きることは「愛」を生きることにほかならないのであります。 』



(a hope所感・・・少しだけ)

これが「生長の家の愛」すなわち「自他一体の自覚」ですね。

<<神を愛するには、神と、神より出でたるものすべてを愛さなければならない。>>
<<自己そのものとして他を愛することが、神を生きることになるのでありまして、
「神を生きる」すなわち永遠価値の生活を生きることは「愛」を生きることにほかならないのであります。>>


これこそ、まことの「実相礼拝」なのではないかと思いました。
それにしても、すごい真理ですね!!


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板