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Web誌友会 板/2
1720
:
トキ
:2013/06/08(土) 19:53:01 ID:tRbdVDEA
>>1715
どうも、思いつくまま書きまして、すみません。
さきほど、紹介した常岡瀧雄大尉の文章を読むと、当時の政党政治の腐敗に憤激した憂国の人達がいろいろと
動いていた事がわかります。しかし、その中で、磯部浅一や栗原安秀のように過激な考え方を主張する人がでて
きて、残念な事に皇軍を利用して、クーデターへの動きが一気に高まり、ついに陛下の軍隊を使って反乱をする
までに至ったようです。その動機においては理解できる部分があっても、手段において間違っていたために、結果
は自分達とは正反対の方向になってしまった。そして、常岡さんのように、法律に触れない形での国家改造を考えて
いた人達も、事件の結果、何もできなくなり、ついには戦争になってしまった、ということらしいです。
ただ、この事件の経過を見ると、青年将校を軍部の上層部が押さえつけ、無理難題を言ったので、義憤にかられ
た青年将校が蹶起した、という部分もあるみたいです。ですから、軍の指導部にも問題があった、という事は
言えるかもしれません。この点は、橋本先生の言われる通りだと思います。
ここで、私は、谷口雅春先生が事件のときに、ご夫婦で祈っておられた、という証言と、さらに、兵隊さんが
岡田啓介総理を見つけながら、上官に報告をしなかった、という事実(しかも、それが生長の家とご縁のある方
だったみたいです)を考えると、国家非常のときに、先ず、何をなすべきか、という点を教えられる気持ちでお
ります。
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