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Web誌友会 板/2

3298復興G:2013/11/05(火) 21:19:41 ID:AB6RqYXc

>>3296 :うのはな様

 「観行篇は六巻ではなかった」 けれども、第6巻でも神想観について書かれていますよ。謹写させて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     すでに成る天国

 「祈り」 はこの信念を強くする役目をするのであります。

 「御心の天に成るがごとく地にも成らせ給え」 というイェスの祈りによりましても、イエスも神の御旨(みこころ)はすでに 「天」 すなわち 「実相の世界」 においては成就していることを知っていたのであります。

 すでに成れる 「実相の世界」 を祈りで変化するなどということはないのであります。

 「実相の世界」 はすでに改造するも改造しないもない、すでに神の御心のままに完全にでき上がっているのであります。それは既成の世界であります。

 神を知る者は、神の完全さを知る者は、神の無限能力を知る者は、

 「神が造った実在の世界はすでに完全であるぞ。」

 「ハイハイ、ありがとうございます。」

 「神が造った実在の人間はすでに完全であるぞ。」

 「ハイハイ、ありがとうございます。」

 ただそれだけでよいのであります。文句も理屈もいらないのであります。ただハイハイと受ければよいのであります。

 「お前は神の創造った神の子である。神の子が病気になったりするものでないぞ」

 といわれたら、

 「ハイハイ、ありがとうございます。神の子であるわたしは病気でないことがハッキリわかりました」

 と素直に答えるのが 「本当の祈り」 であります。

 神が何か自分に与えるのを忘れているかもしれぬから、声を出して時々神様に注意を与えるつもりで神を呼ぶなどは神の全知を無視したもので、不信心もはなはだしいのであります。

     神想観の極意

 「生長の家」 では神想観といって、坐禅観法によって自己の実相を観ずるような修行をいたしますから、大変むずかしい修行のように思う方がありますが、神想観の修行というのは、この 「ハイハイ、ありがとうございます」 の修行なので少しもむずかしいことはないのであります。

 「お前は神の子だ」 と自分の心に呼んで

 「ハイハイ、わたしは神の子でございます、ありがとうございます」

 と受ける行事が神想観なのであります。神想観において

「神の生命がさきはえられて、自分に流れ入って神の生命が自分の生命となる」

 と観じながら静かに息を吸うのは、

 「お前は神の子だ」 と自分自身に対して呼びかけ、その事実に対して注意を促しているのと同様なのであります。(後略)


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