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Web誌友会 板/2

657復興G:2013/04/18(木) 17:45:06 ID:AB6RqYXc

 明晩からの第13回web誌友会テキスト

『生命の實相』第3巻の本文3頁までのところを謹写しましたので、以下にアップロードさせて頂きます。

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一人の生命が全体の生命のために生命を投げ出したとき、その生命は、全体の生命と一つになる。ひとりの生命がはなれ離れに動き出そうとするときには、いろいろの衝突や摩擦が起こるが、全体の生命とひとつになって、宇宙といっしょに動き出すならどこにもわれわれの活動に無理はおこらない。

 われわれが各個人(ひとりひとり)離ればなれに動き出すのは、たとえば、時計の針が針の力ばかりで動き出そうとするにもひとしい。そこには無理があり摩擦があり、ひょっとすればその時計の針が折れるかもしれないのである。

 しかし時計が全体の力で動いているときは実に小さなバネの力で長時間なめらかにそれは運転をつづけるのである。全体といっしょに動く生活、全体の力で生きる生活、自分だけの力で生きない生活、「我」で生きない生活、捨てたときおのずから生きてくる生活、これならいつまでたっても行きつまる気づかいはない。これが「生長の家」の生活である。

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    七つの燈台の点燈者の神示

          ○

 わが第一の神殿は既に成れり。名付けて「生命の実相」という。完成(ななつ)の年になりてわが第一の神殿が完成するのも生命の顕現には周期的波動があるからである。
 七つが事物の顕現の周期律になっている。われに神殿は不要であると嘗て示したことがあろう。われは道(みち)であるから、わが道(ことば)を語るところに吾が神殿は築かれる。わが道(ことば)を載せた『生命の實相』こそわが神殿である。

 『生命の實相』はわが本体であり、無形の「生命の実相」を形にあらわしたのが『生命の實相』の本である。「言葉」を載せた書物を「本」と云うのも、「言葉」こそ事物の本(もと)であり、本質であり、本体であり、本物であるからである。「言葉の宇宙」が先ず出来て、「形の宇宙」がその映像(かげ)としてあらわれるのである。

 今迄の宇宙は、「言葉」が実相を語らず、不調和で濁っていたから、宇宙の万物の運行が乱れて生活苦や病気や、天災や戦争など色いろ不調和なことばかり起こったのである。『生命の實相』の本が出た以上は、言葉が実相を語り、善き円満な調和した言葉の「本」が調うたのであるから今後何事も急転直下する。

 『生命の實相』を開くだけで病念は去り、煩悶は解決し、人々ただ自己の生命の実相を知り、歓喜踊躍して手の舞い足の踏む所を知らないに至る位はその三番叟(さんばそう)に過ぎない。その歓びの相(すがた)こそ人間の生命の実相である。

 わが道(ことば)を「生命の実相」と呼ばしめ、それを本の形にして、披(ひら)いて読むものにさせたのも象徴的因縁あることである。『生命の實相』が展開(ひら)けば形の理想世界が成就するのである。

 今は過渡時代であるから、仮相の自壊作用として色々の出来事が突発する。日支の戦いはその序幕である。神が戦いをさせているのではない。迷いと迷いと相搏(う)って自壊するのだ。まだまだ烈しいことが今後起こるであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない。
   (昭和七年一月十一日神示)
<つづく>


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