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Web誌友会 板/2
5399
:
a hope
:2015/05/11(月) 09:08:21 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」 第18巻 p29 後から2行目〜
「生長の家」で「神罰は無い」と断言しますと、自分の病気さえ治れば、あとはいい気になって利己的な忘恩的な行ないを平気でやる人ができてくるかもしれませんが、そう言う人の周囲には同類の忘恩的な利己的な人たちが集まってくるのであります。
忘恩的な人のところへは忘恩的な人間ばかりではなく「忘恩的な事件」までも集まって来るのであります。
「忘恩的な事件」と言ったらどんな事件であるかと申しますと、善い結果はその事件から生まれて来ないで、自己の努力に対しては忘恩的結果すなわち自己を裏切るような結果を招くようなことになるのであります。
よくこんな人は申します――「必ず成るという自信をもって、誠を尽くせばどんなことでも成就するということが『生長の家』に説いてあるが、今度の事件には自分は自身をもって誠を尽したのに不成功に終わった」と言われるのであります。
自信と一時慣行の誠とは、おのおの事を成す要素ではありますが、ただそれだけでは必ずしも事は成就しないのであります。
自信に対して自信を裏切らず、努力に対して努力を裏切らない結果を得るには、自分自身が裏切った心持と行為をしないすなわち忘恩的な心持ちと行為をしないことが必要なのです。
(つづく)
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