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Web誌友会 板/2
456
:
復興G
:2013/03/08(金) 12:57:27 ID:AB6RqYXc
テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<4>
諸君はこの憐れなる伝令の一兵卒についてどうお考えになるでありましょうか? 世界には実際この憐れな一兵卒のように考えている人間が非常に多いのであります。
――自分のような人間には、こんな服装はもったいなさすぎる。もっともっと貧しいみすぼらしい服装こそ自分を包むにふさわしいのであるといって、人から見て不快がられるような服装を強いてしているような人もありますが、「生長の家」はそのような自己縮小的な消極的な生活者に対して、ナポレオン将軍がしたと同じように、「あなたよ、神の子たるあなたには立派すぎるという服装はどこにもありませんよ」と言明したのであります。
『生命の實相』全集第四巻生活篇に、わたしは「鏡をみて幸福の表情をして笑う方法」を説明してこれによって病気がなおり、運命が開けてくるということを書いていますが、それは表情の印象力を応用して自身の心を生き生きとさし、気分を晴れやかにし、血行をよくし、接する人々を愉快ならしめる心理学応用の生活法でありますが、わたしがここにいおうとするのは服装のもつ印象力を利用して、自己の性格を改善し、自信力を増進し、接する人ごとに尊敬の念を起こさしめ、結局、自身の境遇と運命とを良化するところの「生長の家」式生活法であります。
最近わたしはある父(てて)無しの赤ん坊がかなりの富豪のところへ養女としてもらわれていったときの話をきいたが、仲介に立った人が、「赤ん坊はそんなに容貌は良くありません」といったら、もらう家の夫人は平然として「いくら醜くてもかまいません。美人に育てますから」と自信をもって答えたということであります。わたしはそのときこの美人に育てるという言葉に非常に興味を覚えたのであります。
諸君は良家の教養ある子女が、目鼻立ちのよくととのった貧家の子女よりもよっぽど醜い顔の道具をもっていながら、かえってどことなく奥ゆかしい美人らしく見える事実にいくたびも接しられたことがあるだろうと思います。彼女らのごときは、生まれつきの目鼻立ちはさほど良くはないが美人に育てられた娘に属するといってよいでありましょう。
周囲の人々の愛撫の仕方や、境遇の匂いや、服装の色彩や、その家庭に漂っているなんとなくゆったりとした気分空気が、その娘の心にしみ込み、娘の心は娘の容貌となってあらわれてくるのであります。何事でも心がもとですから、その心をゆたかにのびのびと明かるくする服装をするということは必要なのであります。
あなたの心をゆたかならしめ、これを生長さす方法なら、どんな方法でも惜しまずに行なうがよいのであります。あなたとは「心」であって「心」のほかにはあなたはないのだからであります。窮屈に、何事でも、服装でも、これでなければならぬと凝り固まるのはいけないのであります。
わたしがここに「服装の威力」を説くからといって、それは何も必ず華美なきらびやかな服装をせよというのではありません。それは自己の職業または生活に応じて勝利者としての自覚を強める服装でありさえすればよいのであります。
徳高き高僧はただ一枚の墨染めの衣をまとうことによって、自己が色香の世界にまどわされない高きさとりの境涯にいるという勝利者としての自覚を強めるのであります。
一燈園の西田天香氏のような霊界の偉人は、そのただ一枚の紺の筒袖をまとうことによって、「われ世に勝てり」の氏の自覚をかえってつよめることができたのであります。
およそ人にはいろいろの天分と、それが開発される時期とがありまして、一枚の破衣に勝利感を味わう時期もあれば、豪奢なる調度服装に勝利感を味わう時代もあります。
またある人々は容貌の秀麗さとそれを引き立てる美しい衣服に勝利感を味わいますが、われわれが中学時代には制帽のシンを抜いてヘナヘナな形のくずれた帽子をかむることによって勝利感を味わったものであります。
だから「生長の家」ではどんな服装にしなければ勝利者としての自覚が得られないなどとしゃくし定規な事はいわないのであります。ただわれらは常に「われ勝利者なり」という自覚を得るの助けとなるような服装をしなければならぬと教えるのであります。
なぜなら「われ勝利者なり」という自覚が心にあってのみ、はじめてわれらの生長はのびのびと行なわれるからであります。
何よりもまず心でありまして、心に成功感があってその人は成功し、心に勝利感があつてその人は勝利し、心に生長感があってその人は生長するのであります。
<つづく>
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