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Web誌友会 板/2

4360a hope:2014/09/22(月) 12:57:24 ID:cEpBaIdo

(仏心さまからのご質問①)

個性を没して全体の中に埋没する、これ言葉のマジックでは、個性を没することができますか?


(a hopeお答え)

仏心さまのこのご質問の意図するところがよくわからないのですが、
『個性を没して全体の中に埋没する、』とのご指摘の文章は、一部分であって全体をみると、

<<「自分は阿弥陀仏と一体である」「全体の生命と一体である」ということは、個性生命は本来無い物であって、
個性を没して全体の中に埋没することでありましょうか。>>

という、読者に対して語りかけている、もしくは質問して是非を問うような形になっていますよね?

これがどうして言葉のマジックなのでしょうか?


一般的に考えると『個性を没して全体の中に埋没する』とは、頂点に立つ者の専制体制等の社会的状況の中で、
なにかしらの社会的制裁等があるため、個人の「人格の自由」(発想・意志・行動等の自由)が発揮できない状態、
もしくは自分の現状の社会的立場を守るため、自ら「人格の自由」を発揮しない状態みたいなものではないでしょうか?

言い換えると、『個性を没して全体の中に埋没する』とは他から強制的に、もしくは自ら進んで個人の「人格の自由」を抑圧したような状態で、
否応なく全体の流れに身を任せているような状態だと思います。

一方、テキスト中のその後の文章「一個の時計の生命」の例を拝読すると、
「生長の家の教え」では『個性を没して全体の中に埋没する』という状況に陥ることは
「ありえないこと」であるという結論になっています。

そこのところの文章を、続けて謹写させていただきますね。


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