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Web誌友会 板/2

5646a hope:2015/08/09(日) 19:29:30 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第21巻 p39 4行目〜

この現象界にいるように見えているのは、実は実相浄土にいながら現象界を念の作用にて仮作※1しているのである。

ここに即身成仏※2がある。

だからわれわれは南無阿弥陀仏と称えたとき、すでに成仏している自分を見出すのです。

その実相が悟れた時には、三界は唯心の所現でありますから、自分の立ち向かう環境ことごとくが、神と一つになる、無礙光如来と一つになる、無限の智慧なる、無限の真理なる、完全なる、円満なる、その自分自身の、少しも欠くところなき完全な相(すがた)が、この環境、周囲および体に現われてくる。

そうした時にこの現世が本当の天国となり、浄土となるのであります。

そうして機縁熟して、われわれが念の仮作する人生を投映する銀幕を代えて、霊界の銀幕に映像を投影して生活するようになる時、(いわゆるこの肉体が滅した時)われわれの念が光明一元の波長ばかりを起こすようにしていましたならば、未来世の銀幕には光明一元の世界が投影され、そこにわれわれは指方立相の極楽浄土を現わしていわゆるわれわれは極楽往生したことになるのであります。

これですでに実相では成仏している自分が、現世または霊界において極楽浄土を展開したりしなかったりする原理や、本来去来することなく、来生し往生するように現れる理由もおわかりになったでありましょう。

法顕(ほっけん)という人の訳の『無量寿荘厳経』にはこう書いてあります。

「かの仏如来は来って来る所なく去って去る所なし生なく滅なく過現未来にあらず」これは阿弥陀如来ですが、それと同じくわれわれも「来って来る所なく去って去る所なし過去・現在・未来にあらず」過去現在未来を打ち貫いて、そうして今、このまますでに自分が仏であるということを自覚せしめるのがこの生長の家であります。

(頭注より)
※1・・・本来無いのに仮に作り成す。
※2・・・その身そのまま仏となる。


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