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Web誌友会 板/2

2372復興G:2013/07/18(木) 11:35:56 ID:AB6RqYXc

曳馬野さま。

>>2371 のつづきです。

私は、“本流”が全面的に正しいとは思っていません。「学ぶ会」に入会する気はないし、「学ぶ」誌の購読を勧められても拒否して、一度も購読したことはありません(頂いて読んだことはありますが)。

>>曳馬野のハンドルがどうタラつまらんことを言う人が本流だと云うから、そんな対象を分析するような心の使い方をする人たちは生長の家でない<<

とおっしゃるのは、同感できます。

しかし、「本流なる人々は生長の家でない」 と断言して、元の同志であった人々を不倶戴天の敵として争うようなのが生長の家なのですか? そんなことで、「万教帰一」が成り立つのですか?

私は去る5月、○○高校卒業後61年余の傘寿(80歳)記念同期会に115人集まった話は>>1223・1224に書きましたが、途中20年あまり同期会に出ていなかった(生長の家の運動に没頭していたため)時期がありました。退職して同期会に出るようになったとき、みんなから訊かれました。

「お前は、なぜそんなに“生長の家”をやっているんだ?」と。

「俺は、生長の家の教えによって、人間は死んでも死なない生命だとはっきりわかったから、今もこんなに元気で生き生きと生かされている。
そして、生長の家は万教帰一で、究極の世界平和の鍵を握る教えだ」

と言ったら、

「生長の家は今、分裂しているそうじゃないか。お前はいったいどっちに属しているんだ?」

と来ました。

それが、世間一般の見ている「生長の家」です。
もう、生長の家のお家騒動、分裂騒ぎは有名です。

総裁が、いくら「森の中のオフィス」に万教帰一を象徴する「七つの燈台の点燈者」のご神像や仏説の七宝の塔、多宝塔を象徴する「七重の塔」を建て、「万教包容の御祭」を行われても、元生長の家の熱心な同志をすら包容できないでは、物笑いの種になるだけでしょう。

>>『大和精神 すべての人・物・事は常に調和の中にあり、互にあらそったりしない世界である。という日本古来の精神。日本の建国は、この精神によっている。それが大和魂(やまとだましい)』

でも、それにはやっぱり 「生長の家」 の大調和は不可欠なような気がします。

だって、今の若者は生意気ですから、必ず反論されると思いますよ。
「大調和? 大和精神? えっ? 何それ意味わかんないし・・・。 それで生長の家のおじさんとかおばさんは、それ、実行してるわけ? 自分ができないこと、人に押し付けないでよね。」<<

――上記は >>1493 :a hopeさま投稿文からですが、
上記の 「大調和」 「大和精神」 というのを、最近総裁が力説される 「対称性」 という言葉に置き換えても、同様なのではないでしょうか。

私は今日も、榎本恵吾講師の 「神癒の展開としての人類光明化運動論」 を 「web誌友会板」 に謹写掲示させていただき、拝読しなおして、深い感銘に打たれています。

>> イザナギの命(ミコト)が禊(みそ)ぎ祓(はら)い給うということは、イザナギの大神が、はじめのはじめに還ることを意味しているのである。そのはじめのはじめとは、高天原(たかあまはら)であり、神詰まります神、即ち、七柱(ななはしら)の身(みみ)」を隠し給う、幽の幽なる神の御姿に還ることを意味しているのである。イザナギの命が 「私は無いのです」 と澄み切りになる御はたらき、 「無い、無い、無い」 と、そして、その 「無い」 も 「無い」 と澄み切りの澄み切りに澄み切る御はたらき、そしてそこに澄み切るよろこびが輝き顕れる、それが天照大御神の出でましているお姿なのであると拝察されるのである。

 天之岩戸(あまのいわと)隠れに際して、神々が咲(わら)いに咲った時に、出でまされたことは、天照大御神さまは、よろこびそのものであり給うことをあらわしているのである。<<

 ――この 「はじめ」 なる 「無」 に還った時、本来の 「大調和」 が実現すると思います。


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