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Web誌友会 板/2

2276復興G:2013/07/13(土) 04:34:53 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 と、下方准尉は機から這い出て来て機密書類を焼却していると、敵兵が周囲から集って来て下方准尉を包囲攻撃する。附近部落の村民まで出て来て敵軍に加勢する。下方准尉は拳銃を以てそれに防戦するのであったが、敵は多勢であり、味方は一人であり、拳銃の弾が尽きたら万事休すである。

 田中曹長はそれを上空から見ていたが、加勢に自分が降りて行って下方准尉を自分の飛行機にのせて還って、その急場を救いたいと思うのだけれども、適当な着陸地点がないから、もし着陸せぱ下方機と同様に顛覆して、もう再び空中へ舞い上ることが出来ない。そして味方の重要な飛行機が無駄になるのだ。

 又仮令(たとい)無事着陸しても下方准尉を救い還るには田中機は一人乗りだ。もし自分が救援に赴かなかったならば、下方准尉はあのまま敵の重囲に陥って戦死してしまう。

 それでは上官を見殺にしたのであって、自分の日本魂が満足しない。右するも死、左するも死である。「香嚴上樹」の架空的な机上の閑葛藤とは訳が違ふ.、真(まこと)にこれ如実に進退両難である。

 その時、田中曹長は、此の進退両難の世界から跳び出した、そして矛盾のないただ一筋の道に驀然として突きすすんだ。

 (私が此の講話を生長の家本部の道場でしたときに、企画部の星君が私のあとに道場で立ち上って、田申曹長が生長の家誌友であって現在内地に無事帰還していて、その体験談を誌友会で述べたということを発表せられた。)

 かくの如き危急の世界に於てさえも生長の家の悟りから見るときには、「進退両難」などというものはないのである。肉体は本来無く矛盾も本来無い。着陸地が無いということもない。「着陸地が無い」ということは、ただ心の世界に空想に描いた閑葛藤に過ぎないのである。着陸の必要がある限り、着陸地は到るところにあるのである。

 田中曹長は空想に描いた「着陸地なし」の閑葛藤を見事に截断(せつだん)して、敵兵の群がる頭上へ滑走状態で着陸した。敵兵は逃げまどう。滑走する田中機の下敷になって職死する敵兵は無数である。

 閑葛藤を見事に截断した田中機は、見事敵兵が虚を衝かれて退くところを、下方准尉に応援し、既に疲労してふらふらになっている下方准尉を「上官殿、私の飛行機に乗って下さい」と負うようにして、その一人乗の田中機に乗り込んでエンジンにスタートを掛けた。

 もう進退両難などは田中曹長の前にはないのである。

 「一人乗りの飛行機に二人乗らせては飛行出来ない。飛行出来なかったら戦死か捕虜かどちらかより仕方がない。この場合どうするか。」

 ――香嚴和尚ならば、こんなことを進退両難の葛藤の公案として弄(ひねく)りまわすかも知れないけれども、実は進退両難などは空想上の弄戯(ろうぎ)に過ぎないのである。二人を乗せた一人乗りの田中機は無事離陸して味方の陣地へ帰還したのである。

 だから無門が、此んな進退両難を公案に持出すなど「香嚴(きょうげん)真の杜撰(ずさん)、悪毒尽限無し」と酷評したのも無理はないのである。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「人生にどんな難問題があるように見えても、本当は問題というものは解決し得るためにあるのである。」

 「進退両難」というのは空想に過ぎない。実相においては、「進退両難」というものは「無い」のである。

 ――うーん、すごいことですね。

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 ――それで行きましょう。神様を信じて、明るく驀進しましょう。


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