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Web誌友会 板/2

5720トキ:2015/09/21(月) 20:30:43 ID:1YpTHrO6
 うーん、このあたりは少し純粋教理批判様と認識が違うところだと思います。

 人間は、確かにそれなりの知識や知能を持っており、科学は発展していますが、
では、人間の認識している世界は、まだプリミティブな段階だと思っています。
その段階の人類に対して、実相の存在を説くのは大事ですが、一即多のあり方
など詳細に説くことが有益か、どうか、という議論があり得ると思います。

 幼稚園児をつかまえて、大学で習う内容の学問、例えばシュレジィンガーの
波動方程式を教えても、理解することなど不可能でしょう。ただ、幼稚園を
出て、ずっと大人になったら、大学という学校があり、そこでは難しい学問
を勉強する、という程度の説明をしておくだけで必要にして十分かと思います。

 谷口雅春先生が生長の家を始められたのは、純粋に「神学」の体系を作る
ためではなく、信仰を通じての人類の救済だと思います。これは谷口雅春先生
だけではなくて、釈尊でもキリストでもそうだと思います。それが後年になり
弟子が体系化して学問にしたのでしょうが、教祖自体はそういうことにはほぼ
無関心だったと思います。

 例えば、経営者なら経営の問題で四苦八苦しているでしょうし、家庭不和や
学業不振で悩んでいる人、病気で苦しんでいる人もいます。人生の意義につい
て苦悩している人もいるでしょう。

 そういう人達の救済がメインの目標であって、教学の理論化という点につい
ては二の次であった、という点が言えるのではないか、と思います。

(つづく)


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