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Web誌友会 板/2

1902復興G:2013/06/11(火) 14:02:30 ID:AB6RqYXc

>>1884>>1894 :志恩様。

>>「君民同治の神示」は、雅宣総裁が、2012,11,22総本山に於ける「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」スピーチ に、うまいこと、引用され、自分流の解釈を述べ、日本国の否定、天皇制の放棄、住吉本宮「鎮護国家」祭祀の放棄=を決定されました。つまり、「鎮護国家」を引っこ抜く、材料に使われた神示でもあるのです。

>>このようにして、雅宣さんは、「鎮護国家」を抜き捨て、「世界平和」に置き換えました。 <<

上記、雅宣総裁が2012.11.22総本山に於ける「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」挨拶の原稿というのが「唐松模様」で発表されており、私も原文を読みました。「総裁の文章は気分が悪くなるから、読まない」とも言ってられませんからね。

その中で、
>>「君民一体」という言葉を重視すれば、それは必ずしも「天皇と国民」だけを指しているのではなく、天皇が存在しない国もあるのですから、一般に「支配者と国民」の関係を述べていると思われます。その場合、支配者と国民の間に「意思の齟齬がない」こと、さらには「感情的な対立もない」ということが「一体」の意味ですから、それが“神意”であるということです。<<

というところなどを読むと、総裁は、「梅の花の神示」にある

>> 世界には唯一の光しかないのだ。唯一の光であるからヒノモトと呼ぶのである。ほかの光は皆偽の光ばかりである。梅の花には中心が一つしかないではないか。

 世界に中心が幾つもあって争っていて人類が幸福になれるなどと思うな。太陽系にも中心が一つであり、電子群にも中心が一つであり、人間にも頭が一つであり、樹木にも中心の幹は一つである。極微のものから極大のものまで皆中心は一つである。この事実を見て宇宙の意志を窺えよ。地上の国々だけが中心が幾つもあって好いと思うな。複数の中心はニセ物であり、無中心主義もニセ物である。一つの中心が太陽系に成るが如く地上にも成る日が近づいたのである。<<

とある「宇宙の実相」を自覚しておられないのかと、何だか情けなくなります。だから私は、

「鎮護国家なくして究極の世界平和はあり得ない」と主張してきました。

しかし、
上記、『雅宣総裁が2012.11.22総本山に於ける「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」挨拶』で、総裁は

>>日本国の否定、天皇制の放棄、住吉本宮「鎮護国家」祭祀の放棄=を決定されました。<<

というのは、ちょっと違うのではないでしょうか。

そのようなことは言っておられないと思います。

もし、言っておられるとしたら、どこで言っておられるか、教えて頂きたいと思います。

式典での挨拶文にはそういう文言はありませんし、11月20日総本山での「教化部長懇談会資料」のコピーというのを入手しましたが、その中に

≪生長の家総本山の祭司の重点を「鎮護国家」から「世界平和」へ移す≫

とあるだけで、≪「鎮護国家」をはずす≫とは書いてありませんでした。

だから私は、「鎮護国家」は「重点」からははずされても、まだ完全に外されたわけではなく、まだ復活の可能性があると思っています。

それを、強引に

『日本国の否定、天皇制の放棄、住吉本宮「鎮護国家」祭祀の放棄=を決定されました。』

と不正確な宣伝をされるのは、どういうことでしょう。「言葉は神」ではありませんか。言葉の力でそれを実現したいのですか、と問いたくなります。

こうして「教団派」 と 「本流派」 が対立を激化して、本当に日本の実相顕現ができるのでしょうか?


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