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Web誌友会 板/2

5794純粋教理批判:2015/09/26(土) 12:32:31 ID:DD4jWV6M
生長の家の活動で問題がおきたのでその問題を解決しようとすると、「それは迷いだ。現象にひっかかっているから問題を解決しようなどとおもうのだ」との反対論が一部の人からでてくることがあるといいます。

教えをそのように大上段にふりかざされてしまうと問題への対応ができなくなり、問題はそのままということになります。たとえ問題はそのままであっても、反対論をふりかざした人が責任を感じるわけでもありません。

その人のなかでは「問題はない」わけですから解決がないのもあたりまえ。教えをふりかざせたことでその人は大満足です。

環境活動にたいする批判もこれとおなじです。環境問題はない。なにひとつ対処しなくて環境破壊がそのままつづいたとしても、その人のなかでは「環境破壊はない」のですから解決がなくてもあたりまえ。

教えが広まるまで何百年かかろうが関係ない。環境破壊はないのだから、迷った人たちが勝手にあるとおもっているだけだから、何百年かかろうが関係ない。まわりはえらく迷惑するとおもいますが、本人は教えをふりかざせたことで大満足のようです。


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