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Web誌友会 板/2
5419
:
a hope
:2015/05/22(金) 09:36:05 ID:cEpBaIdo
「聖典」のお勉強を続けます。
「生命の實相」第18巻 p74 3行目〜
谷口――ありがたいにもいろいろの段階がありまして、物質が都合よくゆくからありがたいというように、心の影である物質の移り変わりにありがたがっているのではまだ本当ではないのであります。
むろんそういうありがたさも、不平不満足に思っているよりは、念(こころ)が浄(きよ)まっているので結構は結構にちがいないのですけれども、物質が運よく整うからありがたいとか、平常達者であるからありがたいとかそういうように思っていると、物質が運よく運んで来なければありがたくなくなり、平常達者でない人はありがたくないということになるのであります。
それでは本当のありがたさということにはならないのであります。
私の考えではどんなありがたさでも因果の因を断ち切る力があるのではないと思います。
物質に執着したありがたさ――儲けてよい着物ができてありがたいとか、達者でありがたいとかいうようなありがたさは、かえって執着を増し、因果の因を造ってゆくことになるのであります。
本当のありがたさというものは肉体の健康のことでも物質の調(ととの)うことでもないでしょう。
肉体の達者なことそのことがありがたいのではない、達者をあらわすような実相を自分がもっていることがありがたいのです。
物質の豊富なことそのことがありあたいのではない、物質の無限を現すような実相をもっているのがありがたいのであります。
わが実相が神の子であることが本当にありがたいことがわかれば、ほかのありがたさはすべて自分につきまとうようになるのです。
自分自身の実相がありがたいから、その影を映して、親でも子でも妻でも召使でもどんな事件でもみんな自分の向かうところすべてがありがたくなるのです。
やはりこれは、中心に乗ったありがたさとか、南禅和尚が猫を斬ったようにすべての形を斬り捨ててしまったありがたさと言うべきもので、形にとらわれているありがたさ、物質が調うたり肉体の達者なありがたさはまだ途中のありがたさであって、まだ究竟地に達していないのであります。
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