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Web誌友会 板/2

2795a hope:2013/09/18(水) 09:46:05 ID:dyDQLtZQ

>>2790 トキさま >>2792 復興Gさま


トキさま:<< 『尊師の悲願である人類光明化運動・・・」と話したら、 『悲願ではなくて、喜願ですよ」と訂正をされた事がありました。復興G様のご文章を拝読し、思い出しました。失礼をしました。>>

復興Gさま:<<――「悲願」 は、「慈悲の心から発する、衆生を救うための誓願」 ということで、本来 「悲しい」 とか 「悲壮な」 という意味ではなかったので、「尊師の悲願である人類光明化運動・・・」 でもいいんでしょうけどね。>>


わたしは、このお二人のやり取りを拝見させていただいて、今まで自分の中で「もやもやしていたもの」がすっきりとしました。

「実相独在」を貫き通された榎本恵吾先生の御文章等を拝見していると、生長の家の運動は「よろこびの運動」ではなければいけないということはとても良くわかるのですが、
その運動の発進の動機も「よろこび一色」でなけれいけないような気がしていたのです。

ですが、今回、「悲願」という言葉の意味をあらためましてyahooの辞書で検索しみまますと、

―――――――――

語辞書の検索結果 - 大辞泉(JapanKnowledge)

1.
ひ‐がん【悲願】

1 ぜひとも成し遂げたいと思う悲壮な願い。「年来の―が実る」
2 仏語。仏・菩薩(ぼさつ)が慈悲の心から人々を救おうとして立てた誓い。

――――――――

という、二つの意味があることがわかりました。
「生長の家」の光明化運動は、まさにこの″2″の意味、「菩薩(ぼさつ)が慈悲の心から人々を救おうとして立てた誓い。」が発進の動機であったのだと確信できました。


この菩薩の慈悲の心というのは、右翼・左翼も関係なく、日本人・中国人・韓国人・アメリカ人・・・関係なく、
胎児・老人関係なく、貧乏・金持ち関係なく、教団・本流関係なく、都会・自然関係なく、
すべての人類の魂を平等に救えなかったら本物とは言えないと思います。

谷口雅春先生は、まさにそのような大きな菩薩の慈悲の心で「人類光明化運動」を始められたのだと感じました。

感謝。合掌。


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