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Web誌友会 板/2

3034志恩:2013/10/03(木) 08:07:40 ID:.QY5jUA6
訊けさんから、私への質問の続きです。

訊けさん言

Q :また、復興Gさまは教団へ誘導するために誌友会をされておられるのでは「ありません」
Q:で、志恩さんの論が正しいとするならば、こうなります。「WEB誌友会正しく聖典を学ぶと、教団へ行ってしまう」と。
Q :上記補足です。志恩さんの論が正しいとするならば、すなわち、「復興Gさまの指導を受けると教団へ流れてしまうのだ」が正しいとするならば、
「聖典を学ぶと本流ではなく、教団へ行く」という事に、なります。(意味はお判りでしょうか)
Q:聖典を元に学べば、つまり、復興Gさまの指導を仰げば「教団へ行きたくなる」
・・・・・・よくワカリマセンが、そうなりませんか。つまり、本流派は聖典を学べば「行きたくなくなるトコロだ」と今回、志恩さんはお述べになってはおられませんか(違えば反論を)
.................................



A:
誘導しようと意識されて、復興G様は、ご指導されてるのかどうかは、わかりませんけれど、
復興G様は、いつも、いつも、「2つに 分かれるのは、雅春先生の教えに反している」と、
力説されてます。そして、「学ぶ会」に行く必要も無いと。

>>「自分の実相」 と 「他人の実相」 が別々にあるわけではない。
「実相」 は 「自他一体」 にあり、「一つ」 である。

一切者の自覚、一切は自分の心の展開である。「未発の中(みはつのちゅう)」
  すなわち時空未発の本源世界に立てば、 すなわち時空未発の本源世界に立てば、そこは対立のない、
「すべてが一つ」 の世界である。<<

と、説かれておられます。

つまり、「1つだ」「1つだ」
...分かれるということは、教えに反している事なのだ、、と聞こえるのです。

訊けさんは「聖典を学べば...」と口癖のように言われますが、

web誌友会は、「聖典を準拠にして」「聖典をテキスト」にして、
それを、ご指導する講師が、
解釈されて、問題に当てはめながら、ご講義をして下さるものなのです。

ですから、聖典とは、様々な角度から、説かれているものなのですから、ご指導くださる講師が、
どこの「真理」に照らし合わせて、お話しされるか、によって、解答が違って来るのです。

例えば、「結婚何十年たった、折り合いのひどく悪いご夫婦」が居たとしましょう、
その奥さんが、
相談に来たとします。

すると、担当した講師は

「夫婦とは、合わせ鏡であるから、似た者同士であるから、ご主人の実相を祈り、感謝して
とにかく、よろこんで、よろこんで暮らしてみてください。

別れるなんて、とんでもない事です。夫婦は、1つなんですから」

これが、復興G様流のご指導だと思います。

これは、たしかに「聖典に準拠」しており、間違っては、おりません


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