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1090復興G:2013/05/08(水) 23:31:24 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 9>

 それから邇々芸能命(ににぎのみこと)様が天降りましまして日向の笠沙(かささ)の御前(みさき)にお出であそばした時に、事勝国勝(ことかつくにかつの)神

と現われて道案内を遊ばしておられるのが塩椎神であります。『日本書紀』には「時に彼処(そこ)に一(ひとりの)神

あり、名を事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)と曰(い)う。故(か)れ天孫(すめみま)其の神に問いて曰(のたまわ)く、国在りや。対(こた)えて曰く。在り。因(よ)

りて曰く、勅(みことのり)のまにまに奉らん。故れ天孫彼処(そこ)に留住(とどま)り給う。其の事勝国勝神は是れ伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の

子(みこ)なり。亦の名は塩土翁(しおつちのおじ)」となっております。邇々芸能命様、即ち日本皇室の御祖先の御案内を申上

げ「此処に国あり」とお導き申し上げた神様がこれが事勝国勝神であってすべての事に打勝ち、国が

打勝つところの働きをなさる神様これが塩椎翁であります。

 それから後に神武天皇様が日向の高千穂の国にいまして、これより何処に都を作れば八紘一宇の世

界を建設するに都合がよいかと考えていらせられた時に、白髪の塩土翁と云うところの老翁の神が現

われて、「東(ひんがし)の方(かた)に美(うま)し国あり、かしこへ行きて都を造りたまうたならば必ず世界を統一することが

出来まする」こう申し上げ奉って道案内申上げた。此の東道(みちびき)の神様が塩椎神であります。

 更に後には仲哀天皇の御崩御あそばされた後、神功皇后様に神懸りになって、三韓征伐をせよとお

示しになった神様、天照大御神様の荒魂であらせられる撞賢木厳之御魂(つきさかきいずのみたま)天疎向津媛命(あまさかるむかつひめのみこと)と仰せられる

神様がお懸りになり、つづいて上筒之男(うわつつのおの)神、中筒之男神、底筒之男神なる住吉大神がお懸りになりま

して、神功皇后様の三韓征伐の道案内をしておられるのであります。此等の筒之男神は海の神様であ

りますから、海の魚に命じて、神功皇后様の率い給う軍艦を艦(ふね)の両側から抱き上げるようにして、魚

自身の鰭で泳いで、「櫨揖(かいかじ)を労(わずらわ)さず新羅(しらぎ)に到る」と『日本書紀』に書いてあります。その時に住吉大神

は潮満珠(しおみつのたま)の力によって海の水の水平をずっと満潮以上に高め上げられました。すると、海水は津波の

ようにふくらみあがって、滔々乎として新羅の都は水浸しになりました。すると新羅の王は懼(お)じ恐れ

て、最早我が天運はこれで尽きたのであるか、新羅国が始って以来、未だ曾(かつ)てこんな不思議な天変地

変は起ったことはない、これでこの新羅国も滅びるのかと恐れています時に、神功皇后様の海軍がず

っとそのまま新羅の都へ横づけになり、軍の意気を鼓舞する陣大鼓や笛の音が轟き渡った。これは歴

史にあらわれている敵前上陸の最初の記録であると思うのであります。

 新羅王は益々恐れて「吾れ聞く東に神国有り、日本(やまと)と謂う。亦聖王あり天皇(すめらみこと)と謂う。必ず

其の国の神兵(みいくさ)ならん」こう云って白旗を掲げて降参したとあります。『日本書紀』にあるこの一節は

「日本(やまと)」と云う国号が「日本」と云う漢字を当て嵌めて書いてある最初の記録でもあり、戦争に降服

するときに白旗を掲げると云う習慣があったと云う最初の記録でもあると思います。それは兎に角、こ

の住吉大神は海の神であらせられ、潮の満干を司っていられ、或は三韓征伐と云うような、或は神武

天皇の御東征と云うような、或は日子穂々手見命の龍宮海御進出と云うような、或は邇々芸能命の天

孫降臨の時と云うような、更に遡れば天照大御神が愈々六合に照徹する光を全宇宙にお顕わしになる

と云うような国威発揚の前提として出現あそばされて、その導きをなし給う神であって、別名を塩椎

神と申上げることが明かになったと思うのであります。

<つづく>


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