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Web誌友会 板/2

1454復興G:2013/05/28(火) 20:33:31 ID:AB6RqYXc

皆々様。
昨夜までのweb誌友会自主勉強会をもう一度ふりかえって思うこと、補足資料などを書かせて頂きます。

「現象は、ない」。「実相独在」。――実在するのは完全円満なる神のみ。だから、ただ喜び、感謝あるのみ。
喜び、感謝すれば、喜び、感謝すべきものがますます大きく現れてくる――というのが生長の家の教えでありますね。

<生命の実相の自性円満(そのままでえんまんなこと)を自覚すれば、大生命の癒力(なおすちから)が働いて神癒(メタフィジカル・ヒーリング)となります――『生命の實相』第1巻>

それで、>>1420でa hope様が
<<「日本国の実相はすでに完全円満なんですから、何もわたしたち信徒がそれを顕現させるために、現象の運動をする必要なんてないんですよね!」
わたしは、生長の家の『実相独在』とは、そういう事だと思っています。
真に『実相独在』を信じ切れば、ご飯を食べなくても生きられるだろうし、ミサイルもそれると思います。
だって、そういう奇蹟の数々のお話が「生命の實相」に山ほど紹介されていますし、それが、真の「生長の家の教え」なんだと思います。>>

と書かれていました。
それで、浮かんできたのは、『新版 真理』第3巻第20章の、沢庵禅師と柳生但馬守の話です。以下に、その前の頁から謹写掲示させて頂きます。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

(『新版 真理』第3巻 p.262)
 ……絶対善の生活をしようと思ったならば、すべての「立場」を捨てなければならない。「善」という立場すらも捨てて、「そのまま」にならなければならない。この「そのまま」は、もう善悪の立場を超えて、絶対と「一つ」になっているのであります。だから慧能(えのう)は、明上座(みょうじょうざ)に真理を教えて下さいと云われたときに、

「善をも思わず、悪をも思わず、ギリギリの正念場に立った時、もう人間知恵でどうすることも出来ぬとき、その時、人間考えを完全に捨てる一刹那が来ることがある。その時だ、その時だ、お前の本来の面目――人間知恵を超えたそのままの人間の本当のすがたがわかる!」

 と云ったのであります。道元禅師も「正法眼蔵、生死巻(しょうじのまき)」に「ただ我身をも心をも放ち忘れて仏の家になげいれて、仏の方よりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをも入れず、こころをもついやさずして生死(しょうじ)をはなれ仏となる」と教えられているのであります。

「善をも思わず、悪をも思わず」とは、要するに我(が)の立場――「自分」と云う片寄った物の考え方――がなくなって、「仏の方(かた)からおこなわれる」から、生活が仏ばかりになるのであります。生活が仏ばかりの生き方になれば、融通自在行きづまることがない、これが禅の生活であります。(p.262)
<つづく>


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