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Web誌友会 板/2

1536復興G:2013/05/31(金) 14:05:14 ID:AB6RqYXc

皆様

ありがとうございます。

私は昨夜は出かけておりまして、帰って来たらもう眠くなってどうしようもなく、寝てしまいました。

今日、PCを開いて見たら、何と素晴らしい!

ユタカ様の素直な真剣なご質問に、こんにちは様が誠心誠意、的確なお答えをしてくださっており、goro様、志恩様、神の子(髪の子)様などの活発なご投稿もあったりして充実した研鑽がなされていることに、とても感動しております。

ユタカ様、こんにちは様、皆々様、本当にありがとうございます。ただ感謝でいっぱいであります。

>>1516 :ユタカ様。

「自分が観世音菩薩である」ということから「蓮華日宝王地観」がひらめいたというのは、すばらしい!

私も、蓮華日宝王地観が大好きで、毎日もっぱらこの神想観をしていた時がありました。それを思い出して、今朝は「蓮華日宝王地観」の神想観をしました。

そして、「われ観世音菩薩」と念ずるときに、「われ」とは、肉体の自分はないのだから、この掲示板上に投稿してくださっている皆様はみな自分であると思い、皆様が観世音菩薩であり、皆様に大日輪の霊気が、大日輪の智慧が、愛が、生命が流れ入る、流れ入る……と念じさせて頂きました。

谷口雅春先生は『詳説神想観』で、次のようにご教示くださっています。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     蓮華日宝王地観

 蓮華日宝王地(れんげにっぽうおうち)とは、これは「華厳経(けごんぎょう)」に書いてある言葉でありまして、釈尊の仰せられるには、この世界すなわち宇宙は蓮華蔵(れんげぞう)世界であって、内に蓮華の理念を蔵し、それが展開する世界だというのであります。

 蓮華の花を御覧になりますと、花弁があらゆる方角に展開し、その中心座に、ハチスといって蜂の「巣」のような子房(しぼう)があるのであります。これは中心座に巣(統、スの言葉――五十音を統一すればスの一音となる)があって、そこから現象のハナビラが八方に展開していることを象徴している。

 その中心になるスの世界は金剛(こんごう)の日の宝地(ほうち)であって、破壊し得ないという意味が「蓮華日宝王地」であります。これが実相の世界であります。
 その実相世界を観ずるのが「蓮華日宝王地観」であります。

 まず瞑目合掌して、「吾れ今五官の世界を去って、吾が身を観ずるに、吾が身はこのまま観世音菩薩なり、吾れ観世音菩薩、五蘊皆空(ごうんかいくう)と照見(しょうけん=智慧の光で照らして見る)す。」こういうふうに唱えて、そして、自分自身が観世音菩薩であって、その自分が深般若波羅蜜多(じんはんにゃはらみた)(=神想観)を行ずるつもりになり、

 五蘊皆空(五蘊――「蘊(うん)」というのは“かさなる”という意味の字。“波動”という意味もあります。五蘊というのは、この「波動」が重なって色(しき)、受(じゅ)、想(そう)、行(ぎょう)、識(しき)のモヤモヤのかさなりができているのを言うのであります。「色」とは波によって現われている形象、つまり物質。「受」はこれを感受する五官、「想」は心の想い、「行」は意志によって行ずる働き、「識」はこれらの心の働きを統一する統一意識です。)――物質も心も、ありとあらゆるものが無いと観ずるのであります。

 それには「吾れ観世音菩薩、五蘊皆空と照見す、物質はない、物質はない、物質はない、肉体はない、肉体はない」と、心に繰返し唱えまして、その次には「心もない、心もない、心もない」とずーっと念ずるのです。そして、物質も肉体も心もなんにもなくなった実感を喚(よ)び起して、その次に虚空(こくう)中に「宇宙大の大日輪(だいにちりん)」が浮んでいる光景をじっと心に思い浮べるのです。
<つづく>


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