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Web誌友会 板/2

4108a hope:2014/07/11(金) 10:21:39 ID:cEpBaIdo

>>4102トキさま

お返事をありがとうございます。

本当ですね。

生命の實相第3光明篇第三章「生長の家」とはなんであるか の最後(p74)に、
おまけのように、トキさまの謹写された御文章が掲載されていました。

そのような、文章の紹介の仕方は、「生命の實相」ではちょっとめずらしいのではないかと感じました。

短い文章ですが、ですがその文章には、とても重要な真理が書かれていると思いました。

タイトル、ふりがな、頭注まで含め、前文謹写させていただきます。合掌。



―――――――――――――
日子 と 日女 

われらは古来、人類がすべて神の子であり、※何某(なにがし)の尊(みこと)であり、日子(彦)であり、日女(姫)であるとの自覚をもった。

今こそいっそう人類がすべて日子であり、日女であり、何某の尊であるということを知らねばならぬ。

すべからく人類は輝く太陽神(ひめしん)の子孫であるということを自覚しなければならぬ。

これは古代日本人の原始的迷信などと思ってはならない。

一切の生命は太陽を源(みなもと)として生まれて来るものであることを近代の科学は証明している。


※何某の尊――
むかしから日本では、人間を神の生命のあらわれとしてミコトといってうやまっていた。
決して肉体人間のみは見ていない。
何某というのはだれそれという不特定の人をさした代名詞。
たとえば大和武尊(やまとたけるのミコト)・大国主命(おおくにぬしのミコト)  【頭注より】

――――――――――――――


昨晩、聖典引用板にお勉強した「生命の實相」第13巻p173〜の箇所には、


<<日本語ではこれを「霊人」(ひと)という。
「霊人」とは霊的実在なる所の普遍的存在であるということである。

霊子(ひこ)または霊女(ひめ)という場合は「久遠男性」または「久遠女性」の意味であって、
朽ち果てるべき「仮面の人間」ではないのである。>>


とありました。

ミコトという言葉にしても、「命」「尊」二つの漢字で表現されるのですね。

でも実際に、「生長の家」で礼拝供養するときには、「比古の命」「比女の命」と書くのですね。(「人生を支配すり先祖供養」p20より)

色々な漢字が出てきて、ちょっとややこしい感じもしますが、そのなんでもあり的な特徴が「生長の家」の万教帰一の教えに通じるのだと思いました。

「こうでなければいけない」「こうしなければいけない」そういう「縛り」がまったくないのが、本来の生長の家の教えですよね?



だから、わたしは、なぜ、本流復活の先輩方が「天皇国日本の実相顕現」という表現にそんなにこだわっていらっしゃるのかが未だよく理解できません。

現代の日本で、「天皇国日本の実相顕現」という言葉を前面に掲げて運動をされることは、反対に「天皇国日本の実相顕現」を妨げる結果になっているのではないかと感じています。

わたしは生長の家の「人間神の子」の真理が現代の日本の若者を含む多くの人たちに浸透してこそ、
まことの(形だけではないという意味)「天皇国日本の実相」が顕現すると思うからです。

そのためには、まずは、現代の戦後の唯物論の教育に洗脳された人々に生長の家の「人間神の子」真理を広く伝道することが先決なのではないでしょうか?

雅春先生も、そのために、戦後の「生命の實相」などの聖典から、わざわざ、愛国や天皇信仰に関する文章を削除され、
どのような思想・信仰をもった人々にも「生長の家」の教えが浸透していうようにされたのではないのでしょうか?

それは、サンフランシスコ講和条約締結後、再び日本人に言論の自由が許されるようになった後でも、
雅春先生が「聖典」に戦前の愛国や天皇信仰に関する御文章を復活させることがなかった大きな理由でもあるとわたしは思うのですが・・・。


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