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Web誌友会 板/2

2294ユタカ:2013/07/13(土) 15:03:23 ID:R1D4Jmeg
>実相はかくの如き仮相(けそう)の苦楽を超越すれども、真相の『楽』そのもおうたいのである。法悦そのものであり法楽そのものである。その『楽そのもの』が『常住の我』であって、これが『神の子』である。『神の子』が『人間そのもの』であって、その外(ほか)に『人間』はない。
人間とは常楽を言ひ、無病を言ひ、不苦を言ひ、不悩を言ひ、不壊を言ふ」

實相といふものは、相対の「楽」ではなくて、「絶対楽」であり、その「楽」そのものが「本当の人間」だといふのであります。「本当の我」と「楽」とは一体であるといふので、ここには涅槃経の”常楽我浄”の大乗佛教思想と同じものがあらはれてゐるのです。苦しんでゐるのは「本当の我」ではないのであって、「本当の人間」とは常楽即ち常に楽しいのであります。「人間」とは本来無病のものなのです。
「人間じやもの四百四病の病ひの容れ物だ」なんて言ふ人がありますが、決してさうじやないのでです。人間が病気するんじゃなくて、人間の”抜け殻”が病気をするのです。本当の人間は「神の子」ですから、絶対に病気もしないし苦しみもしないのであります。

だから、神示には「人間とは常楽を言ひ、無病を言ひ、不苦を言ひ、不悩を言ひ、不壊を言ふ」とあるのであります。「不苦」即ち苦しまない、「不悩」即ち悩まない。「不壊」即ちくだけないところの、「常」であり、「楽」であるところの「真我」が「本当の自分」なのであります。常に無常で、うつり変わるところの肉体は「人間」ではないのであります。だから、(つづく)


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