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Web誌友会 板/2

2221a hope:2013/07/10(水) 08:14:15 ID:edEDolt2
みなさま

おはようございます。
先週末から、忙しくしていてゆっくり掲示板を拝見する時間がありませんでした。
そんななかでも、自分自身の信仰姿勢をこれからどうしていったらいいのかと、
わたしなりにいろいろ考えたりしていました。
「唯神實相」「現象なし」の「生長の家の教え」は、宇宙最高の真理だと思っています。

では、まことにその信仰姿勢を貫き通すとはどういうことなのでしょうか?
実際には、ひどい現象がそこにあるのに、その現実に目をつぶって実相の光明面だけを見つめ、
現象の暗黒面とは適当に折り合いをつけて生きていくということでしょうか?


「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」は、現象人間の過ちが表現された二元論の長編詩です。
たしか、雅宣先生ご自身も、「あれは長編詩で聖経にかわるものではない」とおっしゃっているはずです。
雅宣先生が、ご自分の頭で考えられて真理を伝える方便としてお書きになったものだと感じています。

それなのにいつの間にか「お経」になって宇治別格本山などの練成会でも読誦され始めてしまったようです。
いったいどなたが、そのようなことを決められたのですか?
雅宣先生ご自身からのご命令なのですか?

「唯神実相」を悟らせることで衆生を悟りに導くのが生長の家の使命なのに、
あのような二元論の長編詩を「お経」として練成会などで読誦してしまったら、
せっかく真理を知って「唯神実相」に目覚めた信徒の魂を以前よりもさらに深く迷わせていまいます。
とても危険なことだと感じています。

わたしは、あの長編詩を「お経」として読誦することを即刻中止すべきだと思いますが、
みなさまは、どう思われますか?


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