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Web誌友会 板/2
6064
:
a hope
:2015/12/21(月) 12:36:58 ID:cEpBaIdo
(
>>6063
a hope所感)
家庭の中の不調和・・・人を憎む心・・・口惜しい残念だとかいう心・・・妬む心・・・癇癪を起こす心・・・
腹が立ってどうしてもそれが制しきれない・・・
あるいは愛する子供や親を失って悲しみに暮れる・・・
すべてが「心の痛み」なんですね。
でも、この人生で生きていて、そのような「心の痛み」を全く感じないで生きている人なんているのでしょうか?
自分自身では制御しきれないような「憎しみ」や「妬み」や「怒り」「悲しみ」等の悪感情を、なぜわたしたちは体験しなければならないのでしょうか?
「生命の實相」に出会う前のわたしは、それは人間が不完全である証拠であり、そんな人間を創造した「神」がもし存在しているのなら、
「神」はわたしにとっては一番憎むべき存在である、とさえ思っていました。
ところが、「生命の實相」には、そんな不完全な人間や不完全な心は本来存在しないもので、在るもの実相、「完全円満」な人間の姿だけである、
つまりは「人間こそ神(神の子)」でありこの世は「唯神実相」の世界であると書かれてあるではありませんか・・・
わたしにとってそれは、本当に、「衝撃的」な真実でした。
ところで、そのような素晴らしい真理を説く「生長の家」の信仰者としてのわたしたちの使命っていったいなんなんでしょうか?
現象世界の不完全さを憂い、嘆き、悲しむことでしょか?
わたしは聖典の文章に答えがあると思います。
<<念そのものが大調和の状態になることであります。
普段はどうでも神想観の時だけ、健全な心になって念ずるなどというのは駄目で常住坐臥(じょうじゅうざが)に健全なる、大調和の念を持っていることが、すなわち健康を念ずるということになるのです。われわれが常に神の子の念を持つ。
これによって健康を生ずるということになるわけであります。>>
一般の人間がそういう心境になるのはなかなか難しいのでしょうが、「生長の家」の真理を知っているわたしたちにとっては、それはとても有難い信仰目標(使命)ですよね!
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