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Web誌友会 板/2

2870復興G:2013/09/21(土) 20:32:06 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 精密検査の結果、即腎臓を剔出する事になった。後にわかった事であるが、紹介された病院は、癌病棟であった。

 後日わかった事であるが、手術前日家族に病名が伝えられた。

 腎臓癌。それも腎臓よりも大きな腫瘍がまわりをとりかこんでいる事。手術して、最悪の場合には、そのまま閉じてしまう事、等等。

 兄姉の内で、喪服を用意する者さえいたという。しかし、神癒祈願のお蔭で、手術時癌細胞はことごとく死滅し、転移はどこにもなかった。手術は成功し、翌朝肋骨三本と腎臓を剔出した身体で、リカバリー室から、病棟に自力で歩いて帰った。

 しかし名医と言われた手から、十七年に一度といわれた手術ミスがおこり、出血多量で輸血がまにあわずに、瀕死の状態から、再手術して、奇蹟的に生還した。この経験時、多くの奇蹟的な事がおこった。すべて人智力では、理解出来ない事ばかりである。

 私は退院後、人類光明化運動を提唱し、人間は神の子であり、そのままで救われずみであり、真理を知るだけで、暗黒(やみ)なく、病なく、老いなく、死なし、の教えを知った。

 昭和七年の発足以来、その教えの原点である聖典 「生命の実相」 は千八百万部を越える。多くの人が、この聖典の教えによって救われている。凡そ宗教の宗派なるものは、神が人間を救済し給うための計画の中にはない。

 神とは真、善、美であり法則である。善にして愛なる所の神には神罰はない。恐怖心を煽る宗教は邪教であり、宗教ではない。

 環境は、自分の 「念」 の投影であるから、法則を正しく使い、協調することにより、幸福になる。

 宗教とは、奇跡を見せる所ではなく、奇跡をなくする所である。

 あたりまえがありがたく、あたりまえが奇跡である。

 私は、腎臓がなくなったが、無尽蔵の教えを得た。この教えのもとに、この教えを実践し、人類光明化運動を推進すべく、努力している今日この頃であり、多くの光を得ている日々である。

 (特に宗教問題が、とかく言われている時期に、世に少しでも多くの光を点したいと思い、体験の一端を書した。)>>

   *  *  *  *  *  *  *

 ――以上ですが、「無腎臓」 (片方は残っているのですが) になって、「無尽蔵」 の教えを知り、無尽蔵の霊的宝を得たという体験記でした。


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