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Web誌友会 板/2

5758純粋教理批判:2015/09/22(火) 23:57:21 ID:DD4jWV6M
>この意味では実相の意味する物が違っているようです。五官に触れた瞬間には其の儘のものに触れているのを、一瞬の後に念のオブラートで隠したものを認識作用の上で理解している、そんな意味では「70億の人類に70億の宇宙あり(70億の人類が70億の夢をみている)」と言えると思います。

生長の家では五官を迷いであるかのごとく説きますが、五官はたしかに実相なのです。五官によって得た情報のようなものを何らかの方法で変換することで人間はそれをドリーミング(ホログラム映像)として翻訳しているはずなのですね。

夢(現象)は映像です。映像に力の入り込む余地はありません。映像で力を伝えることはできない、と言い換えることもできるでしょう。映像の世界を生きていながら、それでも人間は五官によって力を感じています。したがってその力は映像以前のもの、つまりは現象以前のものと考えるより他はないと考えます。

>「人は自分と同じものを相手に見出す。あらゆる場合において、人は相手そのものを見るのではない。自分の心を相手と云う鏡に映してみるのである。」と言われているのですが、お前の環境はお前の所為だというように責任の所在を知らすための真理ではなく、環境を見ていろいろ感じるのはそのように感じる心を持っているのだから、嫌な奴などと感じるその心を考え直せ、という意味でしょう。

自分のなかにあるものを相手にみいだすことを心理学では投影といいますね。相手にたいする敵意があるとき、本当は自分の中にあるはずのものなのに相手が自分に敵意をもっていると思い込んでしまう現象が投影ですが、生長の家で説く「心の影」は投影についていっているのかとずっと疑問におもっておりました。その可能性もあるということを理解いたしました。

ただ心理学者のミンデルは(ミンデルはMITで量子力学を専攻していました)、投影にも量子力学的な背景があることを示唆しており、投影としての「心の影」にもなんらかの物理的実体がある可能性が残るのではないかと考えます。このあたりはトキさんの研究を待つしかありません。


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