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Web誌友会 板/2

191a hope:2013/02/15(金) 22:17:47 ID:TqpbsVIM
復興Gさま トキさま、ありがとうございます。

今回は、ちょっと忙しかったので、まだ、テキストの範囲を全部拝読し終わっていないのですが、
途中までのところで、少し気になったところがあるので、質問させていただきます。

p141 五行目〜  (復興Gさま謹写箇所 >>178 後半部分)

『…もちろんどんな宗教にも人の造った部分と神の造った部分とがあって、
人の造った部分は、どうもおもしろくない。…』

とありますが、この文章からすると「生長の家の教え」にも、
人の造った部分と神の造った部分があるように思えます。

わたしは、谷口雅春先生は、「自分は(神の声を伝える?)ラッパである。」とおっしゃっていたそうですが、
現象人間の雅春先生は「一求道者である。」と謙虚であらあれたと聞いています。

わたしは、これは、「(神の造った部分=真理)は不変であるが、(現象人間の雅春先生が造った部分)の教え」は
場所や時代などの条件によって変化していかなければいけない」ということになるのではないかと感じたのですが… 
どうなのでしょうか?


わたしのような、新人がこのような生意気なことをいうと、気分を害される方も多いのではないかと感じています。

ですがわたしは、どうしても真実が知りたいのです。
みなさま、a hope の礼儀知らずどうぞお許しください。

そして、遠慮なくご教示、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。


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