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Web誌友会 板/2

4463a hope:2014/10/10(金) 09:56:06 ID:cEpBaIdo

>>4435〜 春さま 

お久しぶりです。
今回は、web誌友会にご参加くださりとてもうれしいです。 

感謝 合掌。

>>4456では、わたしにご忠告、そしてアドバイスをいただきまして、心より感謝いたします。

天皇制度に関しては、自分が日本人でありながら、まだまだその真理を充分理解していないというのは自覚しています。

ですが、現代の日本で「生長の家の教え」を広めていくためには、まずは、「人間神の子」の真理から始めないと、
信徒の数も頭打ちしてしまうような気がするのです。

理由としては、>>4459 >>4460の「訊」さまのご意見にほぼ同じですが、さらに言わしていただけば、
「人格の自由」(選択の自由)が与えられない宗教団体には、カルトのにおいがしてしまうからです。

わたしは「生長の家」は「唯神実相」が基本真理で、その真理において「万教帰一」が成立していると信じているのです。

この根拠は、『神の真義とその理解』の中の一部である「昭和十五年四月九日午後一時より名古屋公會堂に於ける講演の速記」の文章です。

以前、復興Gさまが>>1082〜謹写してくださっています。

<<ところが生長の家は、教義と云っても生長の家独特の教義がないのであります。
ないと言うとおかしいけれども、生長の家は仏教の話もする、お釈迦様は斯う云うように被仰ったと言って、
仏教は斯う云うものであると言って話もする。
またキリスト教は斯う云うものである、耶蘇はこう被仰ったと言って話もする。
また金光教の教祖は斯う言われた、天理教祖は斯う言われた、日本の『古事記』には斯う書いてある、
老子には斯う云う事が書いてある、孔子は斯う被仰ったと云う風に、色々の教を一つにして説いて、
相手に随って自由無礙に方便自在の説教をしているのでありますから、
一定の生長の家の教と云い教義と云うたらどんなものだと言われると困るのでありまして、
生長の家独特の教義と云うようなものがないのであります。>>

これを拝読すると、やはり、天皇信仰というのは後付の方便だったのではないかと感じてしまいませんか?

ただ、「生長の家」が天皇国日本において生まれた宗教で、創始者の谷口雅春先生も当時は当然のように天皇を信仰をされていたという事実が、
とても重要な意味を持っているのではないか・・・と、わたしはそのあたりまでの理解にしか至っていません。


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