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Web誌友会 板/2

529復興G:2013/03/10(日) 19:45:27 ID:AB6RqYXc

【生命的経済学 考(2)】

戦後の日本が驚異的な経済成長を遂げたのは、地上の有限な資源を奪ってきたのではなく、物質的資源はもたないのに、外国から資源材料を買ってこれに知恵と愛をはたらかせ、付加価値をつけて輸出することにより世界の人々に幸福を与えたからであると思います。

NHKの「プロジェクトX」でとりあげられた数々の胸を打つエピソードなどは、その具体的な足跡を示しています。
「与えれば与えられる」の法則によって、日本は豊かになった。

マクロ的に見たとき、日本の経済発展は肉体自我の欲望によって自然破壊をしてきた結果である、などと皮相な見方をするのは、当を得ていないと私は思います。

結果的に自然破壊をもたらした面もあった。だから悪業を積んだだけだったと見るのは間違っていると思います。

          ○

失業者をつくることは、人間生命を死蔵させることですから、最大の罪(積み)になると思います。

だからテキストには次のようにあります。
(『生命の實相』第2巻p.185)

   * * * * * * * * * *

この不景気というものは、新事業を起こさないで、今までの事業の種類だけで互いに利益を争ったり、もう既成産業は膨脹するだけ膨脹しきっていて、これ以上産額をふやしても買い手がないので、職工を解雇でもして人員をへらし、操業短縮でもするよりほかに道はないような状態でありますのに、雇われたい人間の数はますますふえて行くために起こるのでありまして、不景気だといって新しい方面に事業を開拓せず、緊縮だ節約だといって、人類の兄弟がせっかくつくってくれたものを使わないようにするために、つくってくれたものは売れない。売れないから会社は今後つくる必要はない、つくる必要がないから、職工でも社員でも新たに雇い入れるどころか、かえって減らさねばならぬ――だからとうとうたる失業者の洪水などという恐しい新聞の標題(みだし)がでてくるのもむりはありません。

 考えてもごらんなさい、今後五年間、日本国中の人間が節約だといって米と野菜のほか何も買わないことにしましたらどうなるでしょうか。実に恐しい結果になります。
 あらゆる会社という会社、あらゆる工場という工場、米屋と八百屋以外のあらゆる商店という商店、これらはみんな失業者になってしまわねばなりません。

 どうもこれでは節約というものが道徳的にも経済的にも善いということはできないのであります。
(『生命の實相』第2巻p.185より)

   * * * * * * * * * *

さて、戦後日本の経済高度成長がオイルショック、リーマンショックなどでストップし、日本経済はきびしく長い冬の時代を耐えてきました。「失われた20年」などとも言われましたが、その間もただ足踏みしていたわけではないと私は思います。「春の新芽は冬にできる」と教えられています(谷口雅春先生『人生読本』)。

今、春が近づいています。

アベノミクスと言われる安部総理の経済政策で、物価2%上昇のインフレターゲットを設けられた。途端に株価がどんどん上昇し、経済活動が活気づいて、明るい雰囲気が支配的になってきた。なぜか。

今までデフレで、先行きの不安からみんなお金を使いたがらず、「しまつ」「節約」してものを買わない、売れないから造らない、造らないから雇わない、それで失業者があふれてきた。
<つづく>


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