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Web誌友会 板/2

5405a hope:2015/05/14(木) 16:01:58 ID:cEpBaIdo

>>5404 a hope所感)

以前「天理教の教え」と「生長の家の教え」の違いをまとめたことがあります。>>3839 

今回、雅春先生は「ひとの道教の教え」についても言及されています。

<<「ひとの道教」では「念の具象化の法則」を教えないで教祖に頼って自分の心得(こころえ)違いを教えてもらう、「生長の家」では各誌友が心の法則を知るから、誌友おのおのみんな「ひとの道教祖」と同じになってしまって、自分の環境を見、自分の病気を見て、自分の心のまちがいを悟ることができる。>>

今回も、違いをまとめてみます。

――――――――――――――――

ひとの道の教え  教祖の「神宣」=「心の法則」(念の具象化の法則)

生長の家の教え  聖典のお言葉 + 各信徒による神想観による「神宣」 = 縦の真理「唯神実相」(人間神の子)と横の真理「心の法則」(念の具象化の法則)

―――――――――――――――



<<では、この「ひとの道教団」のような教えは不必要かと申しますと決してそうではない。
やはりこういう教えも要るのであります。
「生長の家」は究竟真実大乗(くきょうしんじつだいじょう)の教えである、釈迦の教えにすれば『法華経』以後の教えであって、「すべての人間は神の子であり、すべての人間が教祖である」教えありますが、その教えの神髄に達する以前の人――自分を神の子だと尊敬できない人――には、依頼心を出して他に頼ることによって、他から導かれて自分の心の欠点を直すようにするのもよいのであります。>> p37 後から7行目〜


雅春先生は、「他者に依頼心を起こすこと」を否定されていません。

ですが、本来の「生長の家の教え」であれば、<<「すべての人間は神の子であり、すべての人間が教祖である」教え>>
が、「生長の家の教え」なのですから、やはり、各信徒が「聖典」を熟読し、神想観に励み、
おのおのが教祖となり「神宣」を受けることができるようになるのが信仰の基本なんですね。

「聖典拝読」と「神想観」の重要性・・・、わたしはもう3年以上ここで「生命の實相」を学んでいますが、行きつくところは必ずそこです。


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