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Web誌友会 板/2
1207
:
志恩
:2013/05/18(土) 22:46:34 ID:.QY5jUA6
遅くなりました。今日は、ユタカ様がスタートして下さった自主勉強会に、大勢の方々が参加されて、
私も、わくわくしながら皆様の投稿文を、拝見しました。
生高連の懐かしい歌を、SAKURA様、載せて下さって、ありがとうございました。
山ちゃん1952様、トキ様、SAKURA 様、皆様、
過去に生高連にも関わっていらした方々でいらっしゃるのですよね。
私は、大昔のことになりますが、生高連は、私は
昭和35年(1960年)にスタートした東京都生高連の初代・副委員長を拝命してましたが、、
「愛国運動」を、青年会活動とともに青年会の皆様と手をとりあって、
やっていた時代でした。でも、今思えば、そのころの私は、まだ心が幼くて、
なぜ、生長の家は、愛国運動をするのか、ということは、私は、幹部ではなかったし、、自然体で、やるもんだ、と
思って やっていましたので、はずかしながら、当時は、そんなに深くは考えていなかったかもしれません。
で、このたびは、
ahope様が、また、いい質問をして下さいましたので、皆様とご一緒に、あらためて、
愛国運動、大和精神のことを、勉強する機会が与えられ、有り難いです。
振り返りますと、
当時の、昭和35年(1960年)という年は、丁度、その年の10月に、日比谷公会堂に於いて、立ち会い演説中だった
社会党委員長・浅沼稲次郎が、17歳の右翼の山口ニ矢少年に、腹部を刃物で刺され、非業の死を
とげた年でもありました。
というような、恐ろしい事件が起きたということは、それほど、
共産党、社会党などの、左翼思想が、日本全国を またにかけ 幅をきかせ、寒々とした嵐が
全国中に吹き荒れていた時代だったのです。
山口少年は、谷口雅春先生の本を読んだことがあるということで、マスコミが、生長の家を疑いましたが、
生長の家は、関係ないことは、はっきりと、判明され、それも報道されて、ほっとしました。
だって、刺された浅沼稲次郎も、実は、谷口先生の本を読んでおり、谷口先生を支持していたそうですから、
分らないものです。
浅沼は、生前、「谷口雅春氏は、社会党に反対でもなく、自民党に賛同もしていないと言ってた」
ということが、ネットにも載っています。
(これは、長い前置きです… 笑)つづく
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