[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
4901-
5001-
5101-
5201-
5301-
5401-
5501-
5601-
5701-
5801-
5901-
6001-
6101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
Web誌友会 板/2
4290
:
a hope
:2014/09/09(火) 00:12:15 ID:cEpBaIdo
>>4287
「 仏心」さま
<<●私の思うところとは少し違いますね。」天地一切のもの」は顕れているモノそのもの、人間が意を通して何かを考えたそのことは、
「考え、思想、念」であり縁に触れて心に浮かんだものであり、一瞬の後には何も存在していないもの、であり、端から『天地一切のもの』ではないということです。>>
↑の「仏心」さまお考え方が、もし、
「考え、思想、念」つまり人間の『心』が実在ではなくて、「顕れているモノそのもの」つまり現象に見える『物質』だけが実在するというお考えでしたら、
それって、唯物論なのではないですか?
それでは「仏心」さまのHNである『仏心』も実在しないものとお考えですか?
聖経「甘露の法雨」には、
神が一切のものを造りたまふや
粘土を用い給はず、
木材を用い給はず、
槌を用い給はず、
鑿を用い給はず、
如何なる道具も材料も用い給はず、
ただ、『心』をもって造りたまふ。
『心』はすべての造り主、
『心』は宇宙に満つる実質、
『心』こそ『全能』の神にして遍在したまふ。・・・
とあり、神(仏)の心がすべてのもの(天地一切のもの)を作ったと詠われています。
ですが、一方で「生長の家の教え」では「現象人間の迷いの心」の方は「無い」と否定していますから、
「仏心」さまがおっしゃる<<人間が意を通して何かを考えたそのこと>>というのが、
「現象人間の迷いの心」のことで、「仏心」さまのお考えが、その「現象人間の迷いの心」が天地一切のものではないという意味であれば、
そのことに関してはわたしもそうなのではないかとも思いますが、神(仏)の心は実在だとわたしは信じています。
(つづく)
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板