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Web誌友会 板/2

4290a hope:2014/09/09(火) 00:12:15 ID:cEpBaIdo

>>4287「 仏心」さま

<<●私の思うところとは少し違いますね。」天地一切のもの」は顕れているモノそのもの、人間が意を通して何かを考えたそのことは、
「考え、思想、念」であり縁に触れて心に浮かんだものであり、一瞬の後には何も存在していないもの、であり、端から『天地一切のもの』ではないということです。>>



↑の「仏心」さまお考え方が、もし、

「考え、思想、念」つまり人間の『心』が実在ではなくて、「顕れているモノそのもの」つまり現象に見える『物質』だけが実在するというお考えでしたら、


それって、唯物論なのではないですか?


それでは「仏心」さまのHNである『仏心』も実在しないものとお考えですか?


聖経「甘露の法雨」には、

神が一切のものを造りたまふや
粘土を用い給はず、
木材を用い給はず、
槌を用い給はず、
鑿を用い給はず、
如何なる道具も材料も用い給はず、
ただ、『心』をもって造りたまふ。
『心』はすべての造り主、
『心』は宇宙に満つる実質、
『心』こそ『全能』の神にして遍在したまふ。・・・

とあり、神(仏)の心がすべてのもの(天地一切のもの)を作ったと詠われています。


ですが、一方で「生長の家の教え」では「現象人間の迷いの心」の方は「無い」と否定していますから、
「仏心」さまがおっしゃる<<人間が意を通して何かを考えたそのこと>>というのが、
「現象人間の迷いの心」のことで、「仏心」さまのお考えが、その「現象人間の迷いの心」が天地一切のものではないという意味であれば、
そのことに関してはわたしもそうなのではないかとも思いますが、神(仏)の心は実在だとわたしは信じています。
(つづく)


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