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Web誌友会 板/2

3225復興G:2013/10/21(月) 23:21:33 ID:AENtSm/U

 私は、昨夜の誌友会で、『生命の實相』 第7巻の

 (p.29) 「四、ひとの生命の実相を礼拝せよ」

 に関して、次のように話していました。

 実相礼拝の生活のヒントは――

 ◎ 「○○の実相」 (「夫の実相(または妻の実相)」) を拝むのではなく、

  「実相の○○」 (「実相の夫(または実相の妻)」 を拝む ことです。

 ――まず現象の夫(妻)を見てから、その奥にある実相を観るなんて考えるから、だめなんだ。

 まず先に神につくられたままの完全な夫(妻)を心に思い描き、それのみが実在で、現象に見える姿は夢まぼろし、絵空事だと否定するんです。

 なぜなら、「神こそ渾ての渾て、神は渾てにましまして絶対なるが故に、神の外にあるものなし。神は実在のすべてを蔽う。存在するものにして神によって造られざるものなし。」

 であり、

 「すべて真実の実在は、神と神より出でたる物のみなり。神は完全にして、神の作りたまいしすべての物も完全なり。」(聖経『甘露の法雨』)

 ――ですから。

 そしてまた、

 「総裁の実相を拝む」 なんて考えたら、だめ。

 「実相の総裁」 を思うのです。

 「実相の総裁」 というのは、神界にある生長の家本部にいます生長の家大神、住吉大神そのものでいらっしゃいます。

 その生長の家大神は、外に在(いま)すのではなくて、わが内にいます。

 その、わが内にいます生長の家大神なる総裁を、拝むのですね。

 ありがとうございます!


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