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Web誌友会 板/2

5192a hope:2015/02/25(水) 09:46:32 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p57〜

谷口――何教でなければ救われないというのは、人間の生命を知らないからです。どんな祀り方でなければ、神の気に入らないというのは、神の実相を知らないからです。ある一定の祀り方で祀ってもらわなければ腹が立つというような神なら、それは「神」ではなく迷いでありましょう。

つまり社(やしろ)とか儀式とかによって沽券(こけん)をつけてもらわなければ、自分の「生命の実相」に威厳が出ないと思うからこそ、祀り方のいかんによって腹も立つのでしょう。それは何か他のものを外から付け加えてもらわなければ、自分が完全になれないという弱みがあるから、その外からの付け足しにようが悪いと腹が立つのであって、外から付け加えてもらう必要はないのです。

神は神であるから尊い、神は神であるから自由自在である、神は神であるから円満完全である、その尊さと、自由自在さと、完全さとは外からの付け足しによらず、それ自身の本質にあるのです。人間の生命の尊さも、神の子たる自身の本質にあるのですから、何教でなければ救われないということはないのです。

仏教よし、キリスト教よし、神道よし、なんでなくともよし、何であってもよいのです。人間の生命(たましい)が救われるのは外の力によるのではなく、それ自身の本質が「神の子」であるからです。それ自身の本質が「神の子」でなかったら、外からどんな力を加えても救われるはずがありません。


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