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Web誌友会 板/2

2849復興G:2013/09/21(土) 10:53:04 ID:AB6RqYXc

<つづき 『生命の實相』 第20巻 p.135〜 >

 では、心はあるであろうかと思うと、その瞬間、「心もない!」 とその声は言うのだった。

 今まで、わたしは 「心」 という得体の知れない悍馬(かんば)があって、それを乗りこなすのに骨が折れると思っていたのだ。ところが 「心もない!」 という宣言によって、わたしは、その 「心」 の悍馬から実相の大地に降りたのであった。

 「心もなければ何も無いのか」 とわたしは再びその声の主にたずねた。

 「実相がある!」 とその声はハッキリ答えた。

 「無のスガタが実相であるか。皆空(かいくう)が実相であるか」 とわたしは尋ねた。

 「無のスガタが実相ではない。皆空が実相ではない。皆空なのは現象である。五蘊(ごうん)が皆空であるのだ。色受想行識(しき じゅ そう ぎょう しき)ことごとく空である!」

 「空と無とは異なるのではないか」 とわたしはたずねた。

 「空と無と異なるとは思うな。五蘊皆空であるのに空とは無ではないと思うから躓(つまず)く。空を無とは異なると思い、『無ではない』 と思うからまた 『五蘊は無いではない』 と引っかかるのだ。『五蘊は無い』 とハッキリ断ち切ったところに、実相が出て来るのだ。無いものを無いとしたところに、本当にアルモノが出て来るのだ。」

 「では、実相とはなんであるか」 とわたしは訊いた。

 「実相とは神である。あるものはただ神のみである。神の心と、神の心の顕現のみである。これが実相だ」 ここに神というのはむろん 「仏」 という意味も含んでいた。

 「心も無いのが本当ではないか。」

 「無い心は受想行識の心だけだ。そういう意味でなら仏もない、衆生もない。心、仏、衆生三無差別(しん、ぶつ、しゅじょう さんむしゃべつ)と説く場合には、心もない、仏もない、衆生もない。衆生を抹殺(ころ)し、仏を抹殺し、心を抹殺し、いっさい無いといっさいを抹殺(まっさつ)したときに、実相の神、久遠実成(くおんじつじょう)の仏が出て来るのだ。」

 「それが、キリスト教ならイエスを十字架にかけることになるのですか。」

 「そうだ。肉体イエスを抹殺した時、実相のキリスト、アブラハムの生まれぬ前(さき)から生き通しの久遠のキリストが生きているのだ。イエスの十字架は現象を抹殺せば実相が生きて来るという象徴である! 今、ここに、久遠生き通しの生命が復活する。今だ、今だ! 久遠の今だ! 今が復活だ! 今を活きよ。」

 わたしの眼の前に輝く日の出の時のような光が燦爛(さんらん)と満ち漲(みなぎ)った。何者か声の主が天空に白く立っているように思われたが、それはハッキリ見えなかった。しばらくするとその燦爛たる光は消えてしまった。わたしはポッカリ眼をひらくと、合掌したまま坐っている自分をそこに見出したのであった。>>

          ○

 ――上記が、谷口雅春先生のお悟りの時であります。それは時空を超えた 「久遠の今」 であり、「あるものはただ神のみである。神の心と、神の心の顕現のみである。」 というところから谷口雅春先生は人類光明化運動に起ち上がられたのですね。

 だから、私は >>2847

 <<谷口雅春先生は、「現象を見られて、慈悲の心を起こされて光明化運動を始められた」 というのは、当たっていないと思います。>>

 と書きました。

 先生は、まず現象を見られて、慈悲の心を起こされても、「現象なし、実相独在」 の真理をお悟りになるまでは、ご家族(輝子奥様・恵美子お嬢様)をすら、救うことが出来なかったのです。

<つづきます>


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