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Web誌友会 板/2
171
:
さくら
:2013/02/15(金) 15:48:50 ID:p8juji6I
ホープ様が誌友会の最中に、「多様性」アレルギーがあると書いたことがありました。
わたしの発言からです。
いくらなんでも社会生活も知っているであろう、子どもも育てたであろう方から、「多様性」にアレルギーがあるなどという言葉を聞くとはおもってもいず、
ここの雰囲気を壊してしまったけれど、ショックだったのは、
他を排除して多様性を認めない、カルトの経験を思い出してしまったからです。
多様性とは何かを知らない、というだけではなく、いくら雅宣総裁を思い出すといっても、「アレルギー」という言葉にも、違和感を感じました。
そのときわたしは、キリスト教的宗教観が世界に普及される過程において、多様性のある多神教的な宗教(アニミズム信仰など)が、
ある場合においては、
生理的嫌悪によって排除されてきたという論説の本を読んでいました。
宗教的独善は、正義の名の下に、確実な根拠もなく異質なものを排除する歴史もありました。
魔女狩りもそうです。アニミズム信仰の排除や、生理的嫌悪に基づいた理由が多くありました。
ヒトラーには、民族多様性に対するアレルギーがあったといえます。
正義とは、他を排除する、武器になってはいけないし、
多様性を認めるとは、真実を虚説で穢すことでもない、とわたしは、切実に感じていました。
カルトの経験は、それを経験したことのない方にはおそらく、わからない感覚があるとおもいます。
信じるものがちがうというだけで、他を殺し、他に殺されることもあるという、現実もあります。
ですから、わたしには、虚説レポートも、真の生長の家以外自分に入れないけど、愛してる…という発想も、同じ生長の家を学ぶものとして、
どうしてもこころに抑えきれないものが湧いてしまいました。
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