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Web誌友会 板/2

5396a hope:2015/05/06(水) 23:18:00 ID:cEpBaIdo

>>5395 a hope所感)

この宮さんというご婦人は、「宇宙の大霊」を信仰することにより安心立命を得たつもりになっていて、
逆境をも耐え忍んで感謝するという「逆境陶酔」に陥っていたことにのちに気づかれます。

この「逆境陶酔」とはキリスト教徒に多くみられる「受難礼賛」と同じような意味だと思うのですが、
「逆境」や「受難」を神さまの御心であると勘違いして感謝して受け入れてしまうと、
現象は心の影ですから、そのあとも「逆境」や「受難」が次々に起ってくることがわかります。

一方「生長の家の教え」では「逆境」や「受難」に遭うのは業(罪)の自壊作用であって決して神の御心ではないとされています。

だから、その罪を反省し本来の神の子の心を出すように(悔い改め)すれば事態はどんどん好転していくのですね!

この宮さんも、その後、聖典『生命の實相』を読まれると共に『わたしの信仰に革命が起こりまして、肉体上にも環境の上にも光明が輝くようになったのでございます。』
と言われています。

そして、たくさんの奇蹟の体験談をお話しされた後に、

<<「懺悔」すなわち心の中で犯された罪を思い出して捨ててしまえばすべての病は治るものであると、「生長の家」で教えられているのは真実であることを、こうして毎回体験させられて感謝致しているのであります。>>p29 2行目〜

とお話を終られています。


「生長の家」の『大調和の神示』には<<天地一切のものと和解せよ、天地万物に感謝せよ>>とあるので、その言葉の表面上の意味だけを読み取りますと、
この神示は、「現象に現れてみえるすべての事象に対して和解し感謝しろ」と言っているのかと勘違いしてしまいがちですが、
「生命の実相」第13巻の『和解の倫理』には、<<「虚説」に和解してはならぬ>>と説かれています。

「逆境」や「受難」は、実相の現れではなくて、本来無い心「罪・悪・迷い」(虚説)が現象に映った仮相ですから、
その仮相である「逆境」や「受難」には対しては、決して和解したり、感謝してはいけないということなのですね。


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