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Web誌友会 板/2

4267a hope:2014/09/06(土) 10:56:29 ID:cEpBaIdo

>>4266 a hope所感)

わたしは、4年以上前にもなりますが「生命の實相」に偶然出会い、魂を震わせました。
そして、その後すぐに「生長の家」の信徒となり、本来の生長の家の教えと今の雅宣先生の教えの両方をお勉強するようになりました。

そして、雅宣先生の現象問題を扱った難しいご著書を必死に拝読し、
雅宣先生の「新・四無量心の神想観」を毎日行ずることで、どんどん精神状態と体調を壊していきました。

わたしにとって、このことがまさに「試みに逢わせられた」ということだったのだと思います。


<<「生長の家」倫理学の中心思想は、「人と神と一体であり、万(よろ)ずのもの皆神より出でたるものであるから、
なんじを害するものは一つもないのであるから、天地一切のものと和解せよ」ということであります。
そこで天地一切のものと和解するには、天地一切のもの、すなわち異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。>>(p55  11行目〜)


今は雅宣先生の教えが、本来の生長の家の教え、つまり「生命の實相」からすれば、異端邪説であるとわかるようになりましたが、
信徒になったばかりのころは全く分からなかったわけですから、なにも考えずただただ「雅宣先生の教えを盲信し、その結果、生活が狂いだしました。

雅宣先生の教えは、ごく一般的な常識的なことをおっしゃっているわけですから、一般の方が読むぶんにはおそらくなんの問題もないものだと思います。

それに、世間一般の方からみたら、「肉体無し」「物質無し」などという本来の生長の家の教えの方の方が、よほど常識外れに感じられると思います。

ですが、それが、本来の生長の家の教えだと今のわたしは確信していますし、現在の雅宣先生の教えはまったく別物たと思っています。


ただ、「肉体無し」「物質無し」が本来の生長の家の教えだからと言って、「生命の実相」をしっかりと悟っていないのに、
病気になっても病院に行かず、薬も飲まないで祈りで治そうとするのはとても危険なことだと思います。

聖典にはその危険性を警告するような文章がところどころに書かれているのですが、ご自分で聖典をお勉強せず、
ただ、練成や講習会や個人指導等だけで「生長の家の教え」を学ばれていた信徒の方などには、
そのような生悟りのために亡くなられてしまった方もたくさんいらっしゃるのではないかと拝察しています。

おそらく雅宣先生が、「教え」の進路変更をされ始めたきっかけはそんな危険性の回避という理由もあるのではないでしょか・・・?


ですから、現在の生長の家がこのような混乱状態(不調和)にある中で、確実に「生命の実相」の真理を悟るためには、
独学、つまり聖典「生命の實相」の拝読が一番安全で確かな方法なのではないかとわたしは感じています。


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