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Web誌友会 板/2

5172a hope:2015/02/07(土) 00:12:01 ID:cEpBaIdo

(a hope 赤線ヵ所)

<<谷口―― 父の霊魂は決して子供を病気にするために念波を送っているのではないのです。ただ自分の肉体が死んでしまっているという自覚がない。自分が霊界に属していてこれから霊界の修行にいそしむべきであるという自覚がなく、あくまでも自分自身が現実界に属していると思っているから現実界に執着がとれない。執着がとれないから現実界への執着の念を送る。ところが、その念が苦しんでいる人の念、病気の人の念ですから、それを受ける人が病気になるのです。>>p19 2行目〜

<<谷口――・・・(略)・・・その病人の救われる唯一の道は肉体死後にも人間の生命は存続していて、依然として生きているという事実を話してあげるほかはない、病気は本来存在しないという真理を悟って死ねば、死後その病気は治っているけれども、意識というものは肉体の産物だと思って、肉体が死ねば意識がなくなるものだと思っている人が、死後霊界において意識を回復した時には、自分は生きていると思い、肉体もあると思い、自分は病気だったと思い出すと、霊界における自己の状態は自己の念の客観化でありますから、自分の身体(この時は、もう肉体ではなく幽体であります)が、やはり病気だったと思っているのです>>p21 後から4行目〜

<<こういうように一家の家庭的乱れというものが、一人の迷える霊魂を導くだけでこんなにも改善されてくる場合があるのであります。だから先祖とか親類縁者の祭祀(まつり)というものは決しておろそかにしてはならないのであります。
この祭祀に幽斎と顕斎とがありまして、顕斎とは形の上の御宮とか仏壇とか各宗で定められた一定の形に顕れた方式で祀るのであります。幽斎というのは心をもって心に相対するので、精神統一をして実相を念じ、人間の実相が円満完全であって悩みも病もないという念を霊界の諸霊に放送してあげて、念波によって霊界の諸霊の苦悩を除いてあげるのであります。
これは相手たる霊を生前の名前で招(よ)び出して置いて、一緒に神想観をするつもりでやられてもよい。念だけで頼りなければ、言葉で真理を説いてきかすがよい。それには聖典の「實相篇」を読んできかせてあげるのがよろしい。>>p30 2行目〜

第1章「念の病気に及ぼす力」終わり


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