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Web誌友会 板/2
5718
:
純粋教理批判
:2015/09/21(月) 19:31:09 ID:DD4jWV6M
実相とはなにかといっても定義不可能というのが実情でしょう。言葉とはもともと定義不可能なものであり、それを定義した気になって物事を判断するところに排他性や暴力性が生じます。実相独在といったところで外部があるのかないのか、どこまでが実相でどこからが現象なのか、それさえも決定不可能です。
ところで言葉ですが、実相の言葉はおそらくプログラムでありましょうけども、人間が用いる言葉はプログラムではなく「物事を分離させる力をもつもの」と解すべきではないでしょうか。脳のニューロンになんらかの作用をおよぼすものではないかと個人的には考えております。
マルダセナのホログラフィー理論ですが、今のところは3次元空間によく似た空間という制限があるようですし、理論が成り立つ条件としてドッジッター空間とか反ドッジーター空間とかといわれても素人にはまるでわからない世界の話です。
楕円の中心の数がそうであるように、雅春先生の御文章はけっこういい加減なことが書かれているようです。信じるか信じないかの問題であるのならともかく、「宇宙の仕組み」、「世の中の仕組み」、「人間の仕組み」を問題にしようとするときには、こうしたいい加減さが混乱をきたす原因となります。
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