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Web誌友会 板/2

6106a hope:2016/02/28(日) 11:19:46 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p151 

十三、神仏一体なりやまた別異なりやを問う

池永―― 世間では神と仏を別物のように見る向きがありますが、本当は両者は別物ではなくて一の大生命の別名でしかないと理解させていただいていたのですが、『生長の家』の何号かに、ある信徒は神を粗末にしている家に行くとおのずと祝詞(のりと)が口に上り、反対に仏を粗末にしている家へ行くと、またおのずと待無阿弥陀と口へ出てくる云々と話されておって、神と仏はまったく別物であるかのように書かれてありましたが果たして両者は別物でしょうか、また同一物でありましょうか。

もし両者が別物なれば別々にお祭りせねばなりませんけれども、同一者を神という形式(名)で祭り、あるいは仏という形式(名)で祭るのであれば、神か仏の一方を祭ればそれでよいわけでしょうか。

また多くの家庭でのように神と仏を別々に祭るには及ばないのでありますか。

また『生命の實相』の中の「神への道しるべ」によれば種々の名前の神や仏のあるのは、唯一の神(仏)(作用ではなく本体)はただ一つの大生命であるように書かれております。

もしさようなれば、作用である多神多仏を拝まずとも本体である唯一の神(仏)なる大生命だけを拝めばよいのではないでしょうか。

本体を拝まないで作用を拝むのは本末を転倒せるものではないでしょうか。

所説のごとく従来の多くの既成宗教は光源である大生命なる本体を拝まずに光線から発する光線である作用を拝んでいることとなって礼拝の本末を誤ってはいないでしょうか。

迷信ではなく真の信仰を生くるためにまた偶像礼拝ではなく真の神(仏)を礼拝するために右について御教示をお願い致します。


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