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Web誌友会 板/2

4648a hope:2014/12/01(月) 10:51:27 ID:cEpBaIdo
>>4647 つづき)

禍(わざわい)を転じて福とするのが日本精神である。
死んでも死なないのが日本人であった。
伊邪那岐命が、その子迦具土神(みこかぐつものかみ)を切り給うたとき、その御刀につきたる血からも、
殺されました迦具土神の頭(こうべ)からも、胸(みむね)からも、腹(みはら)からも、陰(みほと)からも、
左の手からも、右の手からも、左足からも、右足からも、神々が生まれ給うたと『古事記』にある。
日本人にとっては一つの「死」は多くの「生」への始まりであった。
「死」さえも明るく見るのが日本精神であったのだ。

・・・ (中略)・・・

諸君はみんな神の子ではないか、神の子が朗らかに笑うほど自然な行事はないのである。
諸君が明るく笑う時、たちまち諸君の本性たる「神の子」に立ち帰るのである。
諸君が神の子たる本性に帰るとき、明るく朗らかな朗らかな神の子の本来の面目に復帰する時、諸君はもうそのままで自由自裁なのである。

天之岩戸は外にはなく、心で築いたものであるから、心が明るく朗らかなるその本来の面目に帰るとき、
もうそこには天岩戸は消えているのである。
何よりも明るく朗らかに笑うことが自己に宿る無限力を引き出す第一歩である。
「明るく朗らかな神の子が自分である。ああ自分が神の子であることがありがたい。」
今日から、就寝前の一分間と、朝目が覚めたときの一分間とに、こう二十回ほど繰り返して丹田に力を籠めた低声で自分の心に言って聞かせよ。
そして機会あるごとに大笑(たいしょう)せよ。
諸君の運命と健康とはこの言葉の力と笑いの力で日々にその前日よりもいっそう明るく改善されたものとなるであろう。

この一文をもって本章の序章とする。
本書は「生長の家」が昭和九年八月にその本部を東京に移転する以前、阪神間、住吉村の道場で実際にわたしに人生指導を求められた際の対談であり、
掲載の順序は第一章以外は座談の年代順に集めたものである。

著書しるす


感謝 合掌。


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