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Web誌友会 板/2
1697
:
トキ
:2013/06/08(土) 09:53:32 ID:tRbdVDEA
橋本徹馬先生のご文章は始めて拝見しましたが、二・二六事件の青年将校が成仏をしていない、という話はありえ
ると思います。
美輪明宏さんが、三島由紀夫先生とお目にかかったときに、三島先生の背後に、青年将校がいた、という話を書いて
います。手許に資料がありませんが、磯部 浅一などは、遺書に「成仏しない」と言い切っているので、あり得る話
かと思います。
当時、関西方面で青年将校運動をしていた常岡瀧雄大尉や、軍神で有名な杉本五郎中佐は、北一輝や西田税などの
影響について心配し、関西以西で運動をしていた青年将校を集めて大阪湾の上に船を出し、議論をつくします。結果、
北一輝や西田税との関係を絶ち、また軍隊を使っての蹶起にも反対していたようです。事件の直前には、北一輝を
治安維持法違反で検察に告発までしています。常岡さんの言い分では、当時の状況を考えると、青年将校の怒りは
当然だが、手段は間違っているという事でした。(中央公論 「歴史と人物」(特集 証言 二・二六事件)
ただ、橋本先生の言われる通り、あの事件についての汚点は、事件のあとの処理であったと思います。
青年将校は、事件のあと、自決をするか、裁判をするか、という選択があったときに、裁判をえらびます。つまり、裁判を
通じて自分達の主義主張を述べたかったという意志が強かったのだと思います。ところが、実際には、弁護士もつかず、
裁判も非公開という超暗黒裁判でした。今、226事件の裁判記録は残っていますが、これは、警護の任務についていた金子
さんとう憲兵伍長が、裁判の警護をしながら、自分が見聞した裁判の様子を書き残したもので、これがなければ、資料は
残らなかったみたいです。
つまり、軍上層部の人達は、事件後、弾圧一辺倒で事件の処理をし、またこの事件を利用して、軍部の権限を強める
動きに出ます。その意味では、この事件の処理はたいへん問題があったし、結果、弊害が大きかったと言えると思い
ます。
また、こういう無理な裁判をしたため、ご本人達も憤激し、橋本先生の言われるような心境になったと思います。
なお、昭和天皇は、事件の第一報を聞かれると、「とうとうやったか、私の不徳の致す所だ」と涙を浮かべられた
とうかがっています。つまり、当時の軍や政府の上層部は、陛下の真意をくまなかったと考えるものです。
ただ、これは個人的な意見ですので、ご理解下さい。
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