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Web誌友会 板/2
3259
:
復興G
:2013/10/28(月) 22:19:13 ID:AB6RqYXc
< 『神 『新版 真理』を告げ給う』 より謹写 つづき>
○
(p.79〜80)
更に、人間は万物の霊長であるから、単に人間同士が相愛して、互いに傷つけるような事を慎まなければならないのは無論であるが、あなたは天地の万物に対しても “愛” をもたなければならないのである。
今まで多くの人間は、自然界の動植物を、自分の利益と快楽とのために利用し得る間は、好き候に利用しつくして、あとは棄ててしまって顧るということをしなかったのである。所謂(いわゆ)る “使い棄て” 精神で、万物の生命をおろそかにし、それに感謝することを忘れ、折角の美しきものを醜くして、悪臭芬々(あくしゅうふんぷん)たる状態にして流し棄てていたのである。
現今、 “公害・公害” といって騒がれているのは、結局、人間自身が自然界の万物に対して “愛” をわすれて使い棄てにしていた報いである。
人間でも、美しく元気で役に立ったり、楽しむことが出来る間は、利用し娯(なぐさ)みものにしながら、年老いて醜くなり弱ってしまって来たならば、 “使い糟(かす)” として棄ててしまうというようなことは、人間の心に “愛” が目覚めている限りは出来ないことであり、また、してはならない事なのである。
人間に対してだけではなく、自然界の一切の事物も、ことごとく 「神の生命」 の自己顕現であるから、人間と兄弟姉妹の関係にあるのであるから、美味(おい)しいところだけを利用して、あとは醜い姿にして棄ててしまうようなことをしてはならないのである。
自然界の万物も、みな “わたし” の生命の顕現であるから、もっと尊敬し、愛し、醜く廃(すた)れたものでも何でも生かして使ってやろうという行きとどいた愛念をもって万物を扱うならば、あなたは廃物と見えた煤(すす)の中にも輝くダイヤモンドと同質のものが秘められていることを発見し、そこから金剛(こんごう)の光を発することが見られるであろう。
善きものの発明や発見はそのような心構えから出て来るのである。万物はすべて愛念をもってその実相を見るならば、そこには廃物というものはひとつもないのである。愛念をもって廃物に接すれば、その廃物の内に潜む宝庫を見出し、その宝庫の扉をひらくにはどうすればよいかの智慧もおのずから湧き出て来るのである。使い棄てにして万物のいのちを大切にせぬものは、その報いをみずからの生活で収穫しなければならないのだ。
○
<ここからが大事なところだと思います>
(p.81〜82)
だいたい一旦、罪を犯した者が、再び罪を犯すようになるのは、再び罪を犯す事そのことが自己処罰の一形式であるからなのである。
みずから再び罪を犯す事が自己処罰であるというのは、いつまでも彼自身罪を繰返し繰返しして 「罪の世界」 の檻(おり)の中にみずからを監禁していて、彼自身を 「罪の世界」 から出られないように閉じ込めているからである。
彼を 「罪の世界」 という檻の中から解放して自由の身にしてやるためには、自己処罰をする必要のないように彼をしてやらなければならないのである。換言すれば自己を “罪人(つみびと)” だとか “罪の子” だとか “罪悪深重(じんじゅう)の凡夫(ぼんぶ)” だとか思う必要のないようにしてやらなければならないのである。
すなわち “罪悪意識” から彼を解放してやらなければならないのである。
本当に正しい宗教は人間を此の “罪悪意識” から解放してやるために、 “わたし” が教祖となる人々を選んで、 “人間本来罪なし” の真理を説かせるように仕組んだのである。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――正しい宗教として、本当に人間を救い、自然を救うためには、根本――神に立脚しなければならない。それには、この最後のところが一番基本となる大切なところではないでしょうか。
「人間至上主義ではいけない」 と言われるときの 「人間」 とは、「罪の子」 なる 「肉体人間」 を指していると思います。そこから一転して、「神の子・人間」 至上主義に立ち還らなければ、宗教としての最も大切な使命を果たすことにならないのではないでしょうか。
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